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274.じぃじの桜(兵庫県勤務医ニュースより)

大阪城公園に桜を増やそうと大阪市が始めた植樹事業。
3年前に亡くなった生前の義父もまとまった額の寄付をした。
おかげで、2年程前に植えられた桜のプレートには、
ぼくや女房、ムスメの名前も刻まれた。
自宅からも近く、散歩がてら時おりここを訪れる。
二三日ほど前までつぼみだった桜もこの日、見事に満開。
ぼくの家族はこの桜を「じぃじの桜」と呼んでいる。

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じぃじの桜の前でムスメと。

コロナ禍が一区切りついたこともあるのだろう。
今年は外国人観光客の姿がよく目立つ。
複数の言語が飛び交い、「国際交流」という言葉が相応しい光景。

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大阪城公園で桜に見とれる園児たち

78年前、ここが火の海に包まれていたなんて信じられない。
じぃじが生まれたのは81年前、1942年(昭和17)。
太平洋戦争で日米最初の戦いとなった、あの真珠湾攻撃の翌年。
日本は戦勝ムードに浮足立っていた。
1945年(昭和20)8月15日にようやく終戦を迎えたとき、じぃじは3歳だった。
大阪城公園界隈が大空襲に見舞われたのが、終戦の前日8月14日。
この地にあった日本最大規模の兵器工場「大阪砲兵工廠」が狙われたのだ。
大阪城公園の敷地内に建てられた平和施設「ピースおおさか」に
当時の悲劇が克明に再現されている。

fc廃墟となった大阪砲兵工廠(ピースおおさか)_convert_20230723110050
廃墟となった大阪砲兵工廠(ピースおおさか)


義父の戦争の記憶は、まだ幼かったためほとんどないに等しいが、
爆弾によってできた大きな水だまりで遊んだ話を
豪快に笑いながら話してくれたことがあった。
そんな義父でも「ピースおおさか」には決して足を踏み入れようとはしなかった。
爆撃音の再現がつらいという。打ち上げ花火が大の苦手だった。
実際に体験したからこそ避けたくなる。
戦争を後世に伝える難しさがここにある。

義父と400
義父(向かって右)と筆者


ムスメがもう少し大きくなったら、「じぃじの桜」の木の下でじぃじの思い出と共に、
戦争の話も伝えていこうと思う。
戦争のことをほとんど語ろうとしなかった義父だが、
「この地に桜を遺した」ことに強い「願い」を感じる。
つくづく見事な遺産だ。
この桜が未来永劫ずっと咲き続けていられる世の中でありますように。(了)


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兵庫県勤務医ニュース2023年6月掲載


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Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

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