31.六代目松鶴師匠
「六代目松鶴師匠に言われた言葉で、一番印象に残っている言葉ねえ?
……己のことしか考えられん奴は落語家になる資格がない、ちゅうことですかな」。
生前、師匠(故・二代目桂春蝶)はラジオのインタビューでこう応えていた。
先日、故・六代目松鶴師の一門の方とご一緒した時にこの事を話した。
すると、その先輩は
「そやねん、うちの師匠はな、弟子が集まって飯を食うてるやろ。
そしたらその場で一番の若手にずいぶん気を遣いはるねん。
『しっかり食べや』ちゅうて。つまり、その場で一番立場の弱い者を大事に気遣う、
ちゅうのかな、それを自然にやらはる人やったな」。
六代目松鶴というと、その芸風から豪快な面だけで語られることも多い。
酒を飲んだうえでの武勇伝等々。
しかし、実際の松鶴師は誰よりも繊細だったというのが師を知る人の大方の意見であろう。
私もまたその気遣いの細やかさに触れた一人だ。
あれは私の師匠と松鶴師の出番が一緒の時だった。
その日はNHKの録りで私は師匠の鞄持ちとして同行していた。
舞台袖で先輩方の咄を勉強させてもらっていた私は
そろそろ師匠の着替えの頃だと師の楽屋へと向かった。
そこへ行くには松鶴師の楽屋の前を通らなければならない。
すると、その時私の目に飛び込んできたのは、
今まさに松鶴師が着物に着替える真っ最中の姿だった。
あいにくその日、師は弟子を連れていなかった。
私は当然のごとく、そこへ上がり込んで松鶴師の着物を取った。
松鶴師はせっかちなところがあって、誰よりも早く準備に入ることでも知られている。
師はおっしゃった。
「あんたとこの師匠も着替えなあかんやろ、
わしはええさかい、早よ春蝶さんのところへ行ってあげなさい」。
私は「いえ、大丈夫です」と応えるとそのまま松鶴師匠の着替えの手伝いを続けた。
でも、内心は穏やかではなかった。
「師は肝心な時に傍に居らへん、ちゅうてえらい怒ってはるやろうなあ」。
しかし、何といっても松鶴師は春蝶が崇拝する師匠の一人である。
それを放って春蝶のところへも行けまい。
松鶴師の着替えが済むと、私はすぐに春蝶の楽屋へ行った。
案の定、師匠はすっかり自分で着替えを済ませていた。
「肝心な時にどこ行ってたんや」。
えらくお冠である。
師についてどこかへ行く時には必ず師の動向を把握しておくのが弟子の勤め。
この時はただただ頭を下げるしかなかった。
さて、春蝶の高座も爆笑のうちに終わり、
私は針のむしろのまま師匠と二人、楽屋にいた。
しかし、その時にはあのお冠の師はどこにもなかった。
むしろ無性に優しく私の目には映った。
服に着替える際、靴下を取った時に発した「ああ、おおきに」という
言葉のイントネーションは妙に優しかった。
それに師の眼差しは何かを語っていた。
その後、先輩の一人が私にそっと告げてくれた。
「蝶六、春蝶兄貴の着替えを放って、
六代目(松鶴)の着替えを手伝うたんやろ?うん、あれでええねん。
わし、六代目が高座へ上がる直前、春蝶さんにそっと耳打ちしてたんを聞いたんや。
おおきに、ちゅうてたで。おたくのお弟子さんをお借りしましたって」。
六代目松鶴師は私が叱られるであろうことを見越してそうおっしゃったのだ。
私はこの文章を連ねるうち、春蝶のある振舞いを思い出した。
それはメイン司会を勤めるテレビ番組でのことだ。
生放送のその前に師は必ずそのフロアにいるスタッフ一人一人によく声を掛けていた。
プロデューサーのみならず、
カメラの配線を担当している若いスタッフにも優しく声を掛けていく。
公開番組ではスタジオに参加するギャラリーのおばさん達とも番組が始まる前、
よく談笑していた。あるタレントマネージャーがその時こう言った。
「春蝶さんのええのはこういうところやねん。一緒に盛り上げようって誰もが思うやろ」。
人の上に立つということは権力を振るうということではない。
全体を気遣うということだ。
今年、私は師匠の享年と同じ年齢に差し掛かる。
まだまだ師匠の域には程遠い。(了)
……己のことしか考えられん奴は落語家になる資格がない、ちゅうことですかな」。
生前、師匠(故・二代目桂春蝶)はラジオのインタビューでこう応えていた。
先日、故・六代目松鶴師の一門の方とご一緒した時にこの事を話した。
すると、その先輩は
「そやねん、うちの師匠はな、弟子が集まって飯を食うてるやろ。
そしたらその場で一番の若手にずいぶん気を遣いはるねん。
『しっかり食べや』ちゅうて。つまり、その場で一番立場の弱い者を大事に気遣う、
ちゅうのかな、それを自然にやらはる人やったな」。
六代目松鶴というと、その芸風から豪快な面だけで語られることも多い。
酒を飲んだうえでの武勇伝等々。
しかし、実際の松鶴師は誰よりも繊細だったというのが師を知る人の大方の意見であろう。
私もまたその気遣いの細やかさに触れた一人だ。
あれは私の師匠と松鶴師の出番が一緒の時だった。
その日はNHKの録りで私は師匠の鞄持ちとして同行していた。
舞台袖で先輩方の咄を勉強させてもらっていた私は
そろそろ師匠の着替えの頃だと師の楽屋へと向かった。
そこへ行くには松鶴師の楽屋の前を通らなければならない。
すると、その時私の目に飛び込んできたのは、
今まさに松鶴師が着物に着替える真っ最中の姿だった。
あいにくその日、師は弟子を連れていなかった。
私は当然のごとく、そこへ上がり込んで松鶴師の着物を取った。
松鶴師はせっかちなところがあって、誰よりも早く準備に入ることでも知られている。
師はおっしゃった。
「あんたとこの師匠も着替えなあかんやろ、
わしはええさかい、早よ春蝶さんのところへ行ってあげなさい」。
私は「いえ、大丈夫です」と応えるとそのまま松鶴師匠の着替えの手伝いを続けた。
でも、内心は穏やかではなかった。
「師は肝心な時に傍に居らへん、ちゅうてえらい怒ってはるやろうなあ」。
しかし、何といっても松鶴師は春蝶が崇拝する師匠の一人である。
それを放って春蝶のところへも行けまい。
松鶴師の着替えが済むと、私はすぐに春蝶の楽屋へ行った。
案の定、師匠はすっかり自分で着替えを済ませていた。
「肝心な時にどこ行ってたんや」。
えらくお冠である。
師についてどこかへ行く時には必ず師の動向を把握しておくのが弟子の勤め。
この時はただただ頭を下げるしかなかった。
さて、春蝶の高座も爆笑のうちに終わり、
私は針のむしろのまま師匠と二人、楽屋にいた。
しかし、その時にはあのお冠の師はどこにもなかった。
むしろ無性に優しく私の目には映った。
服に着替える際、靴下を取った時に発した「ああ、おおきに」という
言葉のイントネーションは妙に優しかった。
それに師の眼差しは何かを語っていた。
その後、先輩の一人が私にそっと告げてくれた。
「蝶六、春蝶兄貴の着替えを放って、
六代目(松鶴)の着替えを手伝うたんやろ?うん、あれでええねん。
わし、六代目が高座へ上がる直前、春蝶さんにそっと耳打ちしてたんを聞いたんや。
おおきに、ちゅうてたで。おたくのお弟子さんをお借りしましたって」。
六代目松鶴師は私が叱られるであろうことを見越してそうおっしゃったのだ。
私はこの文章を連ねるうち、春蝶のある振舞いを思い出した。
それはメイン司会を勤めるテレビ番組でのことだ。
生放送のその前に師は必ずそのフロアにいるスタッフ一人一人によく声を掛けていた。
プロデューサーのみならず、
カメラの配線を担当している若いスタッフにも優しく声を掛けていく。
公開番組ではスタジオに参加するギャラリーのおばさん達とも番組が始まる前、
よく談笑していた。あるタレントマネージャーがその時こう言った。
「春蝶さんのええのはこういうところやねん。一緒に盛り上げようって誰もが思うやろ」。
人の上に立つということは権力を振るうということではない。
全体を気遣うということだ。
今年、私は師匠の享年と同じ年齢に差し掛かる。
まだまだ師匠の域には程遠い。(了)
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