32.グーチョキパー
今から30年前、ちょうど二十歳の頃だった。
大阪道頓堀・角座という劇場ではレツゴー三匹の師匠方が漫才を演じていた。
腹がよじれるとはまさにこの事を言うのだろう。
その怒濤の笑いが冷めやらぬうちに登場したのが、
後に私の師匠となる故二代目桂春蝶であった。
身長170センチに体重41キロという
虚弱体質が現れると会場の雰囲気は一変した。
ぼやくようなその自嘲気味の語り口に先ほどまでの空気は静まり、
それが爆笑に至るまでさほど時間は要さなかった。
笑いのボルテージこそレツゴー師匠に及ばなかったが
観客はすっかり春蝶ワールドの中にいた。
空気を一変させたその姿に私は惚れた。
弟子入りを決めた瞬間だった。
大阪天満宮の境内に天満・天神繁昌亭という小屋がある。
ここは先の漫才中心の劇場とは違って落語が中心である。
この小屋の誕生こそ大阪の落語家の六十年の悲願であった。
会場やお客の要望によって咄の入り方や演目は変わってくる。
ことに落語を目的としない何かの催しに呼ばれた時などは
よほど慎重にならないと自分が浮いた存在になってしまう。
とにかくここのお客は落語目当てだから咄が演りやすい。
浪花座という劇場では
故春蝶の兄弟子にあたる桂福団治師匠と度々出番を御一緒させてもらった。
福団治師匠は大御所なので深い出番。
故二代目春蝶同様に漫才の大爆笑の後がほとんど。
そんな時の福団治師匠もやはりいきなり高いテンションから入るのではなく
前屈みになりながらボソボソと語り出すというスタイルを貫いておられる。
そんな師から私はこんな事を教わった。
「前の漫才のテンションにつられて喋ることあらへん。
負けじと勢いよく出ていったら損するで」。
機を読み、気を変える。まるでプロゴルファーが芝を読むがごとくである。
ところで、結婚披露宴の司会などで一番神経を使うのは全体の気分の流れである。
厳かな場面もあれば和やかな場面も居る。
言い方を変えれば、和やかな場面があるから厳かな場面も生きる。
我々落語家が披露宴の司会で一番要望されるのは、まず楽しい披露宴。
次に堅苦しくない宴。時には儀式的なものは一切省いて欲しいと言われる事もある。
そういう時は打ち合わせの段階で
「できるだけ柱は立てて置いた方がいい」というアドバイスをする。
緊張がないと緩和も生きない。その逆も然り。
終演間近、花嫁から両親への感謝の言葉がある。
この前にもできるだけ和やかな大笑いがあって欲しい。
大きく笑った後ほどグッと息を詰められるからだ。
何か特別に芸をするという訳ではない。
列席者とのやり取りから微笑ましい笑いの種はいくらでも生まれる。
また、披露宴のように目的や気持ちの落とし処がはっきりしている場合はいいのだが、
怖いのはそれが見えないままにマイクを握る事だ。
本来、出演者の誰よりも会の主旨を分かっていなければならないのが司会者の仕事である。
私も未だ会心の仕事を為し得た記憶がないが、
司会はつまりその場におけるオーケストラの指揮者のようなものだ。
間を取ったり、気を変えたり・・
それが声にも反映される。解放された声であったり押さえた声であったり・・・
交渉コンサルタントの谷川須佐雄氏は、声の出し方・つくり方という著書のなかで、声の出し方には大きく三つに分けられると説いている。
防衛的なくぐもった閉じた声・尖った攻撃的な声・開いた明るい声の三つ。
これを氏はそれぞれグーの声・チョキの声・パーの声と紹介する。
例えば、漫才では「ボケ役というのはたいていパーの声でウケを狙う。
それに対してツッコミ役というのはグーの声でボケ役の前に出ないようにネタを誘導する。
そして、最後に『なんでやねん』とチョキでボケ役のパーを切る」
(声の出し方・つくり方/あさ出版)www.amazon.co.jp > ... > ビジネス実用 > 仕事術・整理法 - キャッシュ
芸のみならずクレーム処理、プレゼンテーション、叱咤激励・・
言語における声の使い分けの重要性をこの本は説いている。
世阿弥の言葉に「軽々と機をもちて」というのがある。
自分の気分を軽々と引き立てて、そっと相手のリズムに合わせていくという事だ。
機の見据え方や気の持って行き様、言語の選び方・・
それらに発語などのテクニックが加わり初めて話術というものが成立する。
世阿弥のこの言葉に、私は入門を決めた日のあの師匠の高座を思い出すのである。(了)
大阪道頓堀・角座という劇場ではレツゴー三匹の師匠方が漫才を演じていた。
腹がよじれるとはまさにこの事を言うのだろう。
その怒濤の笑いが冷めやらぬうちに登場したのが、
後に私の師匠となる故二代目桂春蝶であった。
身長170センチに体重41キロという
虚弱体質が現れると会場の雰囲気は一変した。
ぼやくようなその自嘲気味の語り口に先ほどまでの空気は静まり、
それが爆笑に至るまでさほど時間は要さなかった。
笑いのボルテージこそレツゴー師匠に及ばなかったが
観客はすっかり春蝶ワールドの中にいた。
空気を一変させたその姿に私は惚れた。
弟子入りを決めた瞬間だった。
大阪天満宮の境内に天満・天神繁昌亭という小屋がある。
ここは先の漫才中心の劇場とは違って落語が中心である。
この小屋の誕生こそ大阪の落語家の六十年の悲願であった。
会場やお客の要望によって咄の入り方や演目は変わってくる。
ことに落語を目的としない何かの催しに呼ばれた時などは
よほど慎重にならないと自分が浮いた存在になってしまう。
とにかくここのお客は落語目当てだから咄が演りやすい。
浪花座という劇場では
故春蝶の兄弟子にあたる桂福団治師匠と度々出番を御一緒させてもらった。
福団治師匠は大御所なので深い出番。
故二代目春蝶同様に漫才の大爆笑の後がほとんど。
そんな時の福団治師匠もやはりいきなり高いテンションから入るのではなく
前屈みになりながらボソボソと語り出すというスタイルを貫いておられる。
そんな師から私はこんな事を教わった。
「前の漫才のテンションにつられて喋ることあらへん。
負けじと勢いよく出ていったら損するで」。
機を読み、気を変える。まるでプロゴルファーが芝を読むがごとくである。
ところで、結婚披露宴の司会などで一番神経を使うのは全体の気分の流れである。
厳かな場面もあれば和やかな場面も居る。
言い方を変えれば、和やかな場面があるから厳かな場面も生きる。
我々落語家が披露宴の司会で一番要望されるのは、まず楽しい披露宴。
次に堅苦しくない宴。時には儀式的なものは一切省いて欲しいと言われる事もある。
そういう時は打ち合わせの段階で
「できるだけ柱は立てて置いた方がいい」というアドバイスをする。
緊張がないと緩和も生きない。その逆も然り。
終演間近、花嫁から両親への感謝の言葉がある。
この前にもできるだけ和やかな大笑いがあって欲しい。
大きく笑った後ほどグッと息を詰められるからだ。
何か特別に芸をするという訳ではない。
列席者とのやり取りから微笑ましい笑いの種はいくらでも生まれる。
また、披露宴のように目的や気持ちの落とし処がはっきりしている場合はいいのだが、
怖いのはそれが見えないままにマイクを握る事だ。
本来、出演者の誰よりも会の主旨を分かっていなければならないのが司会者の仕事である。
私も未だ会心の仕事を為し得た記憶がないが、
司会はつまりその場におけるオーケストラの指揮者のようなものだ。
間を取ったり、気を変えたり・・
それが声にも反映される。解放された声であったり押さえた声であったり・・・
交渉コンサルタントの谷川須佐雄氏は、声の出し方・つくり方という著書のなかで、声の出し方には大きく三つに分けられると説いている。
防衛的なくぐもった閉じた声・尖った攻撃的な声・開いた明るい声の三つ。
これを氏はそれぞれグーの声・チョキの声・パーの声と紹介する。
例えば、漫才では「ボケ役というのはたいていパーの声でウケを狙う。
それに対してツッコミ役というのはグーの声でボケ役の前に出ないようにネタを誘導する。
そして、最後に『なんでやねん』とチョキでボケ役のパーを切る」
(声の出し方・つくり方/あさ出版)www.amazon.co.jp > ... > ビジネス実用 > 仕事術・整理法 - キャッシュ
芸のみならずクレーム処理、プレゼンテーション、叱咤激励・・
言語における声の使い分けの重要性をこの本は説いている。
世阿弥の言葉に「軽々と機をもちて」というのがある。
自分の気分を軽々と引き立てて、そっと相手のリズムに合わせていくという事だ。
機の見据え方や気の持って行き様、言語の選び方・・
それらに発語などのテクニックが加わり初めて話術というものが成立する。
世阿弥のこの言葉に、私は入門を決めた日のあの師匠の高座を思い出すのである。(了)
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