33.セラピー牧場と落語
「落語は伝えることの大切さと難しさの実践の中で共に育っていく。
まさに伝承共育ですね」
これは小生が催す落語会のアンケートに寄せられた一文。
彼女は、京阪枚方市駅の駅前にあるセラピー牧場 の運営者である。
この後、こう続けられていた。
「私たちの活動も共通する点があります。
人の心に寄り添うセラピー馬の調教を『調伝』と言います。
その馬の生育履歴を調べて、
過去にトラウマになったことはないかなど、
飼われていた環境を調べたり推測したりします。
馬に対する敬愛の気持ちから、
馬は人に関心を持って繰り返し伝えることを学んで行きます。
これも伝承共育かもしれません」
私は、「大阪府保険医雑誌」に連載しているコラムの取材も兼ね、
その編集者と共にセラピー牧場を訪れた。
ここでは、馬に乗るだけではなく、
エサをあげたり馬の手入れをしたり、馬房の掃除等々、
様々なプログラムが参加者のために用意されている。
これまで不登校だった子どもらも
この馬の世話を通じてずいぶん変わったのだという。
馬と接するには人の方から合わせていかなければならない。
馬の生活リズムに合わせることで
彼らもその生活リズムを取り戻していくのである。
「不登校の多くはいじめられた経験があって、
大きくて強いものに恐怖心を抱くものです。
でも、そうやって世話をするなかで、
あんな大きな馬が自分の指示で動いてくれたりする。
馬と接することは自分の意思をしっかりと伝えていくことにもなるし、
これらの作業をすることで恐怖心も取り除かれ
大きな自信にも繋がります」。
私も試しに騎乗させてもらった。
何ていい見晴らしだろう。
馬の歩くリズムと体温が何とも心地いい。
おまけに姿勢も自然とシャンとしてくる。
私のすぐ後には
母親に連れられた5歳ぐらいの男の子が順番を待っていた。
馬に跨るなり、彼の表情もみるみる誇らしげな
頼もしい表情に変わっていった。
それにしても、
ここにいる全ての人の表情はとても輝いている。
こういう輝きの中で癒される気分は、森林浴の比ではない。
もちろん自然のもたらすセラピーを否定するわけではないが、
人が人を癒してくれる実感はもっと有り難い。
その癒しの中心に馬がいる。
「伝承共育かあ・・・・・・」そう呟きながら、
私は、亡き師の家のリビングに
とても大事そうに掛けてあった一枚の色紙を思い出していた。
私の日課は、これを拝むことから始まった。
「育てあい、育ちあい」
木彫家、大山昭子さんの書かれたものである。
考えてみたら、咄家の師匠というのは大変である。
ただで芸を教えて、ただで飯を食わせて、
たまには小遣いまでやって、
年季が明けた時には、黒羽二重の紋付きを弟子に作ってやり、
その弟子が出世したからとて、
師匠には何の見返りもない。
師匠から受けた恩は、
師匠に返さず、次の世代に返すというのが咄家の流儀だ。
「叱るって、ほんま疲れますな」
ある時、師匠がラジオでこう語っていたが、
その叱られた当人は、間違いなく私だった。
ずいぶんイライラさせたやろなあ・・・・・・
そんな時、師匠はあの色紙を見ながら
ずいぶん我慢を重ねていたに違いない。
色紙にはきっと師匠の目垢がこってりこびりついているはずだ。
セラピー牧場セラピー牧場で、私は、30年前のあの頃のことを思い出していた。
まさに伝承共育ですね」
これは小生が催す落語会のアンケートに寄せられた一文。
彼女は、京阪枚方市駅の駅前にあるセラピー牧場 の運営者である。
この後、こう続けられていた。
「私たちの活動も共通する点があります。
人の心に寄り添うセラピー馬の調教を『調伝』と言います。
その馬の生育履歴を調べて、
過去にトラウマになったことはないかなど、
飼われていた環境を調べたり推測したりします。
馬に対する敬愛の気持ちから、
馬は人に関心を持って繰り返し伝えることを学んで行きます。
これも伝承共育かもしれません」
私は、「大阪府保険医雑誌」に連載しているコラムの取材も兼ね、
その編集者と共にセラピー牧場を訪れた。
ここでは、馬に乗るだけではなく、
エサをあげたり馬の手入れをしたり、馬房の掃除等々、
様々なプログラムが参加者のために用意されている。
これまで不登校だった子どもらも
この馬の世話を通じてずいぶん変わったのだという。
馬と接するには人の方から合わせていかなければならない。
馬の生活リズムに合わせることで
彼らもその生活リズムを取り戻していくのである。
「不登校の多くはいじめられた経験があって、
大きくて強いものに恐怖心を抱くものです。
でも、そうやって世話をするなかで、
あんな大きな馬が自分の指示で動いてくれたりする。
馬と接することは自分の意思をしっかりと伝えていくことにもなるし、
これらの作業をすることで恐怖心も取り除かれ
大きな自信にも繋がります」。
私も試しに騎乗させてもらった。
何ていい見晴らしだろう。
馬の歩くリズムと体温が何とも心地いい。
おまけに姿勢も自然とシャンとしてくる。
私のすぐ後には
母親に連れられた5歳ぐらいの男の子が順番を待っていた。
馬に跨るなり、彼の表情もみるみる誇らしげな
頼もしい表情に変わっていった。
それにしても、
ここにいる全ての人の表情はとても輝いている。
こういう輝きの中で癒される気分は、森林浴の比ではない。
もちろん自然のもたらすセラピーを否定するわけではないが、
人が人を癒してくれる実感はもっと有り難い。
その癒しの中心に馬がいる。
「伝承共育かあ・・・・・・」そう呟きながら、
私は、亡き師の家のリビングに
とても大事そうに掛けてあった一枚の色紙を思い出していた。
私の日課は、これを拝むことから始まった。
「育てあい、育ちあい」
木彫家、大山昭子さんの書かれたものである。
考えてみたら、咄家の師匠というのは大変である。
ただで芸を教えて、ただで飯を食わせて、
たまには小遣いまでやって、
年季が明けた時には、黒羽二重の紋付きを弟子に作ってやり、
その弟子が出世したからとて、
師匠には何の見返りもない。
師匠から受けた恩は、
師匠に返さず、次の世代に返すというのが咄家の流儀だ。
「叱るって、ほんま疲れますな」
ある時、師匠がラジオでこう語っていたが、
その叱られた当人は、間違いなく私だった。
ずいぶんイライラさせたやろなあ・・・・・・
そんな時、師匠はあの色紙を見ながら
ずいぶん我慢を重ねていたに違いない。
色紙にはきっと師匠の目垢がこってりこびりついているはずだ。
セラピー牧場セラピー牧場で、私は、30年前のあの頃のことを思い出していた。