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35.カチューシャの歌

青年貴族士官のネリュードフは、
小間使いのカチューシャを可愛がっていたが
後になっていじめるようになった。
そのためカチューシャは卑しい女となって罪を犯しシベリアに送られた。
これを知ったネリュードフはそれまでの地位と富を捨て
カチューシャを追って人間性復活の道を歩き始める。
美しく哀れなカチューシャが高貴な青年に救われるという
この甘いロマンスが大正時代の人々の心を捉えて離さなかった。
「芸術座」が世に送ったロシアの文豪トルストイ原作の演劇「復活」。

公演回数は400回以上。
その劇中に歌われた「カチューシャの歌」は4万枚というレコード売り上げを記録した。

ぼくが島根県浜田市金城町という地を訪れたのは今から4年前の平成21年。
この一帯には「たたら」(粘土で突き固めた砂鉄を溶かす炉)の跡が方々にあって
かつては鉄の産地として知られた。
金城の「金」とはつまり「鉄」の意。
冬は積雪が多いことでも知られる。
金城を含む島根県西部地域は「石見」(いわみ)と言い「石見神楽」も有名だ。
この度は浜田市金城町の久佐、美又、波佐の三つの公民館を
二日かけて講演して廻ることになった。

まず初日に訪れたのが久佐公民館。
応接室に通され談笑するうち私の関心は地元の郷土芸能「石見神楽」に傾いた。
「石見神楽」の演目は日本書記に題材を求めたものが多く、
中には「黒塚」「安達が原」「紅葉狩」「貴船(能では鉄輪)」など
能とも共通するものが多々ある。

「そう言えばここの中谷君が能をやっていましてな」と館長。
ほどなく当の中谷雅晴氏が部屋に入って来られた。
見たところ三十すぎといったところか。
大学の研究会で能を学び、其の頃から稽古を始めたそうだ。
当時は教育委員会の教育振興係。
卒業してからもつい最近まで片道二時間かかる広島の稽古場へ通っていたという。
片山九郎衛門師の門下の青木道善師が氏の師匠にあたる。
現在は諸事情でその稽古場自体は中断しているが、
中谷氏はさすが能を嗜んでいるだけの事があり
物腰よく当たりが柔らかくどことなく品の良さが漂う。

直前の打ち合わせはすっかり能・狂言の話で盛り上がった。
中谷氏はここの出身であるが実際その社中に入って神楽に参加するという事はなかったと言う。
しかし、氏が能に取り組むようになったのは
幼い頃から慣れ親しんだ「石見神楽」が下地になったであろう事はどうやら間違いなさそうだ。
「石見神楽」の歴史は能楽同様、室町時代に遡る。
以来ずっと絶えることなくこの地に受け継がれてきた。

ところで、この金城町は島村抱月を輩出したことでも有名だ。
冒頭に述べた作品を日本全国に紹介した日本近代演劇の父である。
抱月は大正初期の頃「芸術座」を立ち上げ、この作品で一世を風靡した。
看板女優の松井須磨子が歌った劇中歌、
「カチューシャの歌」はあまりにも有名である。

カチューシャ可愛いや 別れのつらさ
せめて淡雪とけぬ間と
神に願いを ララかけましょか
(作詞:島村抱月・相馬御風、作曲:中山晋平)


初日の講演を終えた私は
教育委員会の金子正志氏と石橋孝彦氏の案内で抱月の眠る浄光寺へと向かった。
寺は小高い丘の中腹にあって、辺りは田畑の広がる日本の原風景そのものであった。
室町の時代にはこの一帯で五穀豊穣を祈り、神楽が奉納されたのであろう。

抱月は妻や娘たちと共に眠っていた。
抱月の遺骨は元々東京の雑司ヶ丘霊園と、この寺の二ヶ所に分骨されていたらしいが、
平成16年に島村家の墓がここに建立されたのをきっかけに
抱月は没後八十六年にしてようやく里帰りを果たした。

どうりで墓はまだ真新しい。
墓石の横手には抱月の年譜が掲げてあった。
それによると島村抱月は明治四年金城町小国の生まれ。
姓は佐々山、名を龍太郎。
佐々山家は製鉄で財を成したが事業に失敗して没落の憂き目に遭った。
勉強のできた龍太郎は隣町の浜田へ出て
薬局で見習いや裁判所で給仕などで学費を稼ぎ夜学に通うようになる。
そんな龍太郎に目をかけたのが裁判所検事の島村文耕であった。
文耕は東京の大学へ行く費用を援助する代わりに養子になって欲しいと申し出た。
龍太郎が島村姓を名乗るようになったのはそれ以来の事である。
ちなみに抱月はペンネーム。
文耕の援助により東京専門学校(現在の早稲田大学)文学科に進んだ抱月は
第二回留学生に選ばれ英独に旅立ちそこで西洋演劇に出会った。

抱月は来る日も来る日も精力的に西洋演劇を鑑賞した。
日本近代演劇(新劇)夜明け前である。
帰国した抱月はまず坪内逍遥らと共に「文芸協会」を立ち上げた。
しかし逍遥とは考えが合わずそこを脱退。
「演劇は各自の技を磨くと共に精神修養の場だ」と逍遥が主張するのに対し、
抱月は「芸術を最重点にすべき」と反論した。

シェイクスピアを信奉する古典派と
トルストイやイプセンを信奉する現代派は折り合いが合わず、
とうとう抱月はそこを飛び出し「芸術座」を立ち上げた。
抱月は劇作家であると同時に劇団経営者となったのである。
経営者には作家とは違う能力や才能が要求される。
その頃、抱月は大学教授であり
果たして劇団経営ができるのかと首を傾ける向きもあったらしい。
案内の石橋氏は郷土文化にかなり詳しくこの辺りを丁寧に説明してくれた。
「これは石央文化ホールの館長をなさっている岩町功先生の説なんですが、
劇団経営の才は抱月の家が製鉄業を営んでいた事が大きいんじゃないかと言うんです」

翌日、講演の合間にたたらなど
製鉄に関する資料が展示してある歴史民俗資料館を案内してもらう事になった。
製鉄の仕事はいくつかの専門分野に分けられる。
火を炊いて鉄を精製する者や炭を管理する者、賄いを用意する者・・・
これら夫々の集団をひとつに取りまとめていくのはなかなか容易な事ではない。
それを抱月の祖父や父が担っていた。
その仕事ぶりを幼少期から傍らで見ていた体験が
抱月の劇団経営を可能にしたのではないかという説である。

なるほど俳優のみならず大道具、小道具、音響、照明など
様々な専門分野を束ねる劇団経営と製鉄業のそれはよく似ている。
遺された人足帳の束がそれに携わっていた人々の多様さを物語っていた。

ところでその時、私はもうひとつの因果関係にも思いを馳せていた。
それは抱月が幼い頃から親しんだであろう「石見神楽」との関連である。

ぼくが師事する狂言師の安東は海外での公演も多く、
舞台や演習の様子を幾度となく訪れている。
例えば、そこでは謡の演習も行うが、
音を取るのは日本人でもなかなか容易な事ではないのに
外国人であるにも関わらず、
その日本の古典芸能に対して彼らは驚くほど飲み込みが早いのだという。
そこには民族音楽などの下地の存在がある。

インドネシア、ポーランド、バルト三国・・・
自国の文化を大事にするアイデンティティーをしっかり持った学生ほど異文化の吸収は早いようだ。

「上を向いて歩こう」で世界的歌手になった坂本九さんや
同じく「愛のメモリー」等でおなじみの松崎しげるさんも
双方とも小唄・端唄に乗せて三味線の音色が流れる環境に育っている。
共に実家が邦楽の師匠の家だったのだ。

ずいぶん前に松崎さんのショーの司会をさせてもらったが、
その時、トークの中で即興で披露してくれたのが、口三味線で端唄という芸であった。
坂本さんに関しては放送作家の永六輔さんの書物に詳しく、
それによればあの独特の発声は邦楽から来ているのだと言う。
邦楽という下地が世界的歌手を生んだのである。


さて、抱月の原風景には「石見神楽」があった。
「石見神楽」の演目のひとつ「大蛇」は地元の名
産を使った和紙を利用して作られた大掛かりな蛇腹で知られる。
赤や青の十メートルはあろうかという大きな竜は
視覚的に訴えるものが大きくかなり派手である。
これはそれまでの神楽にはないこの地ならではの創意工夫だと地元の人は胸を張る。
リズムも明治以降、新たな調子が加わりよりエンターテイメント性を高めている。

また、この地では「地芝居」といった芸能も昔から盛んに行われていた。
これは村人による村人のための大衆演劇といったもので
写真で見る限りかなり本格的なものである。
公民館でもこういった「地芝居」のポスターがやけに目につく。
いくつかのグループがありその大会が毎年盛大に開かれている。
聞けば明治時代にはもうすでに当たり前に行われていたらしく
おそらく江戸時代からの風習らしい。

「石見神楽」ばかり有名で比べると
こちらは霞んでしまった感があるが、これも地元が誇る郷土芸能だ。
むしろこちらの方が地元では根付いているかも知れない。
「石見神楽」も「地芝居」も伝統を踏まえながらも創意工夫の連続であった。
「伝統を重んじながらもここの人間は意外と新しもの好きで
何か創作するのが得意なんですよ」と館長。
きっとこういった気質を抱月は受け継いだのであろう。

劇中「カチューシャの歌」を観客と共に歌う演出は、当時はとても斬新なものであったろう。
抱月は長く故郷を離れていたにせよ
きっと心のどこかでずっと石見を思い続けていたはずである。
世の中の流れは偶然ばかりでなく、必然の連続。
かつて「たたら」で賑わい今も「地芝居」や「石見神楽」の盛んな、
冬は雪深い山村地域。

カチューシャ可愛いや 別れのつらさ
今宵一夜に降る雪の
あすは野山の ララ路かくせ


・・・路は金城に通じていた。

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蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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