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44.シンディ・ローパー

第二次大戦中、食べるものがなく飢えている弟に向かい、
姉はこう言った。
「ねえ、何が食べたい?いちばん食べたいものは何?」
二人は笑いながらおいしいものを次々とあげた。
「そんなに食べたら、おなかこわしちゃうわね」

弟はおどけて、でんぐり返しをして見せた。
おなかがいっぱいで、もう大丈夫だというように。

今はもう、勇気づけのために
架空のメニューなど作る必要のない時代。
では、精神的にはどうでしょう。



1993年、オノヨーコ『グレープフルーツ・ジュース (講談社文庫)
こんな内容の序文から始まる。
姉とは、オノヨーコさんのことだ。
習慣的な生活だけでは、たまらない。
何か新しい行為を人生に付け足したい。
そういう人のためにこの本は書かれた。

ぼくは、洋楽にとても疎い人間だが、
先日の卒業式で、いたく感動してしまったのだ。
家に戻るなり、すぐさまアマゾンで仕入れたのは
トゥルー・カラーズ シンディ・ローパー自伝』。

それで、この一冊のことも知ったのだ。
17歳で家出をしたシンディ・ロ―パーの紙袋に入っていたのは、
歯ブラシ、下着の替え、リンゴがひとつ、
そして、この『グレープフルーツ・ジュース (講談社文庫)』だった。


エンターテイメント業界に関わる専門学校。
その卒業式は、ぼくも講師の一人として列席していた。
名誉顧問の湯川れい子先生の祝辞は、
2年前の東北大震災のことから始まった。

そう。。。。。。この日卒業していく彼らは、
あの震災直後に入学してきた学生だった。
グループ校の中には、東北出身の学生もいた。
悲しみを乗り越えての入学だった。

あの頃、これからどうすればいいのか、
ぼくはただオロオロするばかりだった。
ずっと家にいて、仕事のキャンセルの電話を受ける毎日。
そんな時の入学式。
やはり、今回と同じように湯川れい子さんの言葉を聞いている。
学生たちの顔に使命感が満ち溢れてきた。

ぼくもまた、湯川れい子先生の言葉におおいに励まされた。

震災の日、湯川さんは、
親交の深いシンディ・ローパさんと会うことになっていた。
シンディさんは、ツアーのため、日本に向かっていたのだ。
ところが、その飛行機は大地震発生のため、成田に降りられず、
やむなく横田基地経由で羽田空港へ。

そこで彼女が見た日本人の品位、品格。
衣服をかけあったり、そこにいる誰もが
静かで落ち着いて互いを思いやろうとしていた。

風評によって、海外からの渡航者がみんな帰っていったあの時。
シンディさんは帰らなかった。
その記者会見は、今も記憶に新しい。


  「震災当日、スタッフみんなに、
   私は日本にとどまりたいと思うって、話をしました。
   日本の人には、みんなで集まって歌を聴き、
   一緒に歌うことが、心を明るくすると思ったからです。
   もし、音楽が本当に心を癒せるなら、やってみよう、
   ここで確かめてみようじゃないって。
   もし私が日本を離れていたら『True Color』という癒しの曲は
   説得力を失ってしまったでしょう。どれだけ癒しの曲を歌っても
   私がさっさとここから去っていたら、怖がっているようにしか見えない」。

 
 
シンディさんの日本贔屓は、つとに有名だ。
定職もなくブラブラしていた時、
『ミホ』というニューヨークのジャパニーズレストランの経営者、
鈴木サクエさんという日本人女性が、シンディさんに声を掛けた。

「それじゃ駄目だから自分の店で働きなさい」。

     
  「みんなが日本の人々のために私がやったことについて話し始めると、
   私自身は何だか欺瞞っぽい気がしてきた。
   第一に、それは私だけの
   ことじゃない。私たち全員がやったこと。
   日本のクルーだって、そこにいて、誰も家に帰らなかった。
   だから彼らが私を英雄に祭り上げるつもりなら、
   何かほんとにいいことをしなきゃいけないと思った。
   私は被災地にいる子どもたちを
   どうにかして助けられないかと考え始めた。
   自分が自分でない誰かに仕立て上げられていることに
   ひどく動揺して、夫のデヴィットに相談した。
   たぶん彼らには自分たちのために
   そういう人になってくれる誰かが必要なんだよ、
   と夫は言った」。
                          

この思いに応えたのが湯川れい子先生だった。
それで、シンディさんは、更に桜の苗木を送った。
彼女はこう言う。

  「木を植える、育てるということは復興、再生という意味があります。
   瓦礫を集めて片付けてそこに土を入れて木を植えて育てて
   そこに高い防波堤を作れば、
   再び災難が起こらないように次の予防にする、
   災難に備えることにも繋がります。
   私が有名であるということを使って世界からこの地が注目され、
   忘れられないでさらに支援が集まれば、
   まさに私がここに来た意味があります。
   子どもたちには、私たちが本当に
   みな子供たちのことを思っているということを分かって欲しい」。

   

湯川れい子先生が卒業生に送ったメッセージ。
何故、シンディさんは、世界中に支持されているのか。
シンディーさんは、どう動いたか。
彼らは、エンターテイメントの世界で働こうという若者だ。
具象に託したその言葉は
しっかりと彼らの胸に響いたはずだ。

17歳のシンディーさんが手にした一冊も
是非、目にして欲しい。

・・・・・・今はもう、勇気づけのために
架空のメニューなど作る必要のない時代。
では、精神的にはどうでしょう。

落語の想像が、癒しに繋がるなら、
それは、とっても、素晴らしいことではないか。


トゥルー・カラーズ シンディ・ローパー自伝トゥルー・カラーズ シンディ・ローパー自伝
(2013/03/11)
シンディ・ローパー、ジャンシー・ダン 他

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蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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