50.繁昌亭の楽屋番のこと、師弟のこと
今、上方落語協会が発行する冊子『んなあほな』の
編集委員をさせてもらっている。
次号のぼくの担当記事は、
「地域寄席探訪」と「特集・楽屋番の一日」のコーナー。
それでようやく本日、入稿を済ませた。
「楽屋番」とは、楽屋の一切を取り仕切る係のことである。
これには、原則として入門して3年前後の者が受け持っている。
楽屋番の下には、楽屋見習いというのがつき、
二人ペアになって働く。

天満・天神繁昌亭は、大阪の落語家にとって61年の悲願であり、
平成18年9月5日にそれが叶ってから、この9月で7年になる。
東京と違って、歴史が浅い分、
楽屋番ひとつ取っても、試行錯誤が続いた。
楽屋番は、当番制なので、
彼らは、得た情報をなるべく共有すべく、
しっかりノートに書いて申し送りをしている。

内容は、差し障りない部分しか紹介できないが、
例えば、こんな感じ。
「○○師匠には、熱いお茶を出さないでください」
「○○師匠は、お茶ではなく、白湯でお願いします」
「○○師匠の出番の時は、下座に白湯を置くように」
「(同じ咄でも)○○師匠は『手紙無筆』、△△師匠は『平の蔭』と記す」
「大入り袋は出番前に渡すように」
「○○師匠は化粧前ではなく、中央の机が常席です」
「○○師匠に大入り袋を渡し忘れたのでよろしく」
「洗濯物は支配人室で干すことに決まりました」
「洗濯物は予備室で回してください」
「神棚の榊の蓋を割ったのは私です」
「このノートへの記入は筆ペンではなく、ボールペンにして下さい」
「○○師匠は、楽屋ではパイプ椅子をお願いします」
きっと将来、貴重な資料となって、高値がつくんだろうなあ。

さて、ぼくが取材した日の楽屋番は、春蝶君の弟子の、紋四郎君。
楽屋見習いとして、染八君。
ちなみに、先代の「春蝶」は、ぼくの師匠である。
息子の彼が名を継いでくれたので、
今はその偉大なる「春蝶」の名を「君づけ」したり、呼び捨てにしたり。
でも、二人っきりの時は「大助」と呼んでいる。
今、ぼくの内弟子時代の話を共有して話できるのは、彼ぐらいだろうか。
ぼくが師匠の家に住み込みだった頃、彼はまだ、小学1年生だった。
ぼくの朝の日課は、彼の寝小便布団を干すところから始まった。
大助君(現・春蝶)の寝小便は、小学5年生まで続いた。
「大助、心配することあらへん。寝小便なんてじきに治るから。
俺なんか、6年生まで垂れてたで」とぼく。
すると、それを横で聞いていた師匠(先代春蝶)が
「アホか!わしは、中学生までやってたわ!!!」
変な自慢である。
さて、紋四郎君だが、師匠の春蝶君の若い頃と比べても、
大層真面目で、大人しく、従順な若者である。
というのは、現・春蝶君は、あれで結構向こう意気の強いところがある。
きっとお父さん似なんだろう。
師匠と正反対のタイプが弟子につくというのは、
この世界ではよくあることだ。
春蝶君と談笑していると、
当然ながら、紋四郎君は、師匠である春蝶君を
少し離れたところからじっと見つめている。
弟子と、ストーカーは紙一重である。
でも、この「いつも見られている」という視線が
師匠を、師匠らしくするのかも知れない。
春蝶君と、紋四郎君を見ていてそう思った。
また、楽屋番と楽屋見習いの関係も然り。
紋四郎君は、てきぱきと染八君に指示を与えて、
責任者としての「らしさ」を感じた。
染八君も手際よく動いている。
つまり、これらは「いい上下関係」。
また、落語家の世界は、「御恩返し」といって、
上から受けた恩恵は、下に返すことになっている。
やはり、「いい上下関係」。

さて、「楽屋番の一日」の本編が掲載された「んなあほな」は
ゴールデンウィーク頃に発行される予定。
是非、お買い求めください。300円。
※天満天神繁昌亭の他、大阪・千日前の波屋書房、
なんばパークス5階の&音(あんどん)、
ジュンク堂の千日前店でもお買い求めいただけます。
また、島之内寄席をはじめ、落語会会場でも販売しています。
詳しくは、上方落語協会ホームページまで。
桂蝶六のホームページはこちらです。
桂蝶六「口はにぎわいのもと」
編集委員をさせてもらっている。
次号のぼくの担当記事は、
「地域寄席探訪」と「特集・楽屋番の一日」のコーナー。
それでようやく本日、入稿を済ませた。
「楽屋番」とは、楽屋の一切を取り仕切る係のことである。
これには、原則として入門して3年前後の者が受け持っている。
楽屋番の下には、楽屋見習いというのがつき、
二人ペアになって働く。

天満・天神繁昌亭は、大阪の落語家にとって61年の悲願であり、
平成18年9月5日にそれが叶ってから、この9月で7年になる。
東京と違って、歴史が浅い分、
楽屋番ひとつ取っても、試行錯誤が続いた。
楽屋番は、当番制なので、
彼らは、得た情報をなるべく共有すべく、
しっかりノートに書いて申し送りをしている。

内容は、差し障りない部分しか紹介できないが、
例えば、こんな感じ。
「○○師匠には、熱いお茶を出さないでください」
「○○師匠は、お茶ではなく、白湯でお願いします」
「○○師匠の出番の時は、下座に白湯を置くように」
「(同じ咄でも)○○師匠は『手紙無筆』、△△師匠は『平の蔭』と記す」
「大入り袋は出番前に渡すように」
「○○師匠は化粧前ではなく、中央の机が常席です」
「○○師匠に大入り袋を渡し忘れたのでよろしく」
「洗濯物は支配人室で干すことに決まりました」
「洗濯物は予備室で回してください」
「神棚の榊の蓋を割ったのは私です」
「このノートへの記入は筆ペンではなく、ボールペンにして下さい」
「○○師匠は、楽屋ではパイプ椅子をお願いします」
きっと将来、貴重な資料となって、高値がつくんだろうなあ。

さて、ぼくが取材した日の楽屋番は、春蝶君の弟子の、紋四郎君。
楽屋見習いとして、染八君。
ちなみに、先代の「春蝶」は、ぼくの師匠である。
息子の彼が名を継いでくれたので、
今はその偉大なる「春蝶」の名を「君づけ」したり、呼び捨てにしたり。
でも、二人っきりの時は「大助」と呼んでいる。
今、ぼくの内弟子時代の話を共有して話できるのは、彼ぐらいだろうか。
ぼくが師匠の家に住み込みだった頃、彼はまだ、小学1年生だった。
ぼくの朝の日課は、彼の寝小便布団を干すところから始まった。
大助君(現・春蝶)の寝小便は、小学5年生まで続いた。
「大助、心配することあらへん。寝小便なんてじきに治るから。
俺なんか、6年生まで垂れてたで」とぼく。
すると、それを横で聞いていた師匠(先代春蝶)が
「アホか!わしは、中学生までやってたわ!!!」
変な自慢である。
さて、紋四郎君だが、師匠の春蝶君の若い頃と比べても、
大層真面目で、大人しく、従順な若者である。
というのは、現・春蝶君は、あれで結構向こう意気の強いところがある。
きっとお父さん似なんだろう。
師匠と正反対のタイプが弟子につくというのは、
この世界ではよくあることだ。
春蝶君と談笑していると、
当然ながら、紋四郎君は、師匠である春蝶君を
少し離れたところからじっと見つめている。
弟子と、ストーカーは紙一重である。
でも、この「いつも見られている」という視線が
師匠を、師匠らしくするのかも知れない。
春蝶君と、紋四郎君を見ていてそう思った。
また、楽屋番と楽屋見習いの関係も然り。
紋四郎君は、てきぱきと染八君に指示を与えて、
責任者としての「らしさ」を感じた。
染八君も手際よく動いている。
つまり、これらは「いい上下関係」。
また、落語家の世界は、「御恩返し」といって、
上から受けた恩恵は、下に返すことになっている。
やはり、「いい上下関係」。

さて、「楽屋番の一日」の本編が掲載された「んなあほな」は
ゴールデンウィーク頃に発行される予定。
是非、お買い求めください。300円。
※天満天神繁昌亭の他、大阪・千日前の波屋書房、
なんばパークス5階の&音(あんどん)、
ジュンク堂の千日前店でもお買い求めいただけます。
また、島之内寄席をはじめ、落語会会場でも販売しています。
詳しくは、上方落語協会ホームページまで。
桂蝶六のホームページはこちらです。
桂蝶六「口はにぎわいのもと」
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