55.破門騒動と桂雀喜くん

いよいよ上方落語協会誌「んなあほな」27号が
ゴールデンウィークに合わせて発刊されます。
※天満天神繁昌亭の他、大阪・千日前の波屋書房、
なんばパークス5階の&音(あんどん)、
ジュンク堂の千日前店でもお買い求めいただけます。
また、島之内寄席をはじめ、落語会会場でも販売しています。
詳しくは、上方落語協会ホームページまで。
先日、安藤忠雄先生設計の協会会館にて最終の編集会議が行われました。

同じく編集委員の笑福亭竹林師匠が、英華堂の「かりんとう饅頭」を
差し入れしてくれました。これがかなりのヒット。

外はカリッとサクサクで、中は柔らかく、生姜が効いていて、
ほんのり懐かしい味。思わず顔がほころびます。
「いろいろ差し入れもらってるやろけど、これは頂いたことないやろ?」
と竹林兄貴。
「ちょっと手土産によろしいな」
「ここ(天満宮)からすぐや。いっぺん行ったらええわ」。
普段、辛党の咄家も、これはペロッといけました。
英華堂
「まあ、食うてみいな」と若手のくんの口まで饅頭を運ぶ竹林師匠は、
お節介焼き。まるで大阪のおばちゃんです。少々口が悪いところも。
ぼくは、落語の登場人物のモデルとさせてもらってます。
さてさて、前にも紹介させてもらいました通り、今回、ぼくの担当記事は、
「地域寄席探訪」と「楽屋番の一日」。
「地域寄席探訪」は、「ジャッキー7」。
それで、今、思い出しましたが、
「んなあほな」に書かなかったことをひとつ。

実は、雀喜くんは、昔、今の春蝶くんの家庭教師でありました。
その頃、一門で宴会をしている時に、ぼくを含む弟子3人が、
全員破門になったという事件があったのですが、
その時も、雀喜くんはそのリビングの二階の春蝶くんの部屋で
家庭教師の真っ最中でした。
「お前ら、破門じゃあ!出ていけ!!」という師匠(先代春蝶)の声に、
雀喜くんはびっくりしたそうですが、
息子である今の春蝶くん(当時、高校生)はすごく冷静だったそうで。
雀喜くんは、そのことにもっと驚いたそうです。
破門になったいきさつは、ここでは割愛しますが、
今だから明かしますと、
兄弟子二人が、先に師匠宅を出たあと、
ぼくだけ、結局その日はそこに泊めて頂くことになったんです。
その時、師匠はぼくにこうおっしゃったんです。
「わしはもう、弟子を(責任もって)見られへんねや。
気力も体力もない。
どうしてもお前らが咄家を続けたいねやったら、
わしが春団治(師匠の師匠)に頭を下げて、
お前等を弟子にしてもらえるように掛け合うたある。
・・・まあ、今日はとりあえず泊まっていけ」。
その日、師匠がぼくのために布団を敷いてくれました。
破門した弟子のためにですよ。
それから、一ヶ月の間、ぼくら弟子は毎朝日参して
何とか破門を解いてもらえましたが。
でも、
・・・・・・師匠が亡くなったのは、破門騒動からおよそ1年後。
師匠が亡くなってから、師匠が生前行きつけにしていたお店に伺うと、
あちらでもこちらで、こんなことを言われました。
「あんたとこの師匠な、あれは亡くなる半年ぐらい前やったかいな、
フラッと来はって、ほとんど飲まはらんと、お金だけ置いて、
『ありがとうな』言うて、すぐ帰らはってん。妙やなと思うてた」。
・・・・・・そうですね。自分でもう、分かってはったんですね。
ぼくは、雀喜くんの会に呼んでもらうたびに、
打ち上げで、この話をしているような気がします。
取材の時もそうでした。
で、いつも、その日はほっこりして布団をかぶるのです。
今回は、師匠自慢でした。
今また、これを書いてて、ほっこりしました。雀喜くん、ありがとう。
桂蝶六ホームページ
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