63.日本三大祭り 天神祭り 其の1
天神祭り - 2013年05月05日 (日)
「世界三大美女」と言えば、楊貴妃、クレオパトラ、小野小町。
小野小町に想いを寄せる深草の少将は、
「百夜、通い続けたら晴れて契りを結ぶ」という小町の言葉を信じ、
深草から小町の住む山科、小野の里まで毎晩通い続けたあげく
百日目の最後の晩に、大雪のため途中で凍死してしまった。
小野小町と言えば、こんな川柳。「玉にきず無いのが小町玉にきず」
小野小町は、生涯未経験だった。
裁縫の「町針」はここからきているのはご承知の通り。
「弁慶と小町は馬鹿だなあかかあ」
これも有名な川柳。破礼だから説明はしない。

ところで、この世界三大美女に「待った」をかけたのが、
大阪天満宮文化研究員も務めておられる高島孝次先生。
去年、「天神祭り」を前に企画されたレクチャーにぼくも参加した。
『世界三大』というのは、
秀でた人にあやかりたいという、
三番目が言うことです。
第一、小野小町をここに入れるのは
日本ぐらいのものです。
高島先生の話は、そんな論調から「日本三大祭り」について及んだ。

船形山車 大阪天満宮所蔵・旧上荷茶船船仲間所有「天神丸」 大阪くらしの今昔館にて
「日本三大祭りとされている神田祭り、祇園祭り、天神祭り
・・・・・・これ自体、おかしいのではないか」
でも、これにはちゃんとした理由がある。
(1)三重構造
伝統的な祭りの多くは、
神事という核の部分と、氏子・崇拝者による「神賑行事」で成り立っている。
天神祭りの場合は、これに観光行事が加わって「三重構造」になっている。
これほどバランスのいい祭りは、それほど多くはない。
(2)動員数
「天神祭り」は見物人だけで、100万人。
一方、「祇園祭り」は今年多かったと言っても、せいぜい80万人。
仙台の「七夕祭り」は200万人だが真ん中の神事というものがない。
(3)歴史
天神祭りの始まりは、平安時代の中期951年。
途中で中断した時もあったとおっしゃる方もあろうが、
それは「神賑行事」=渡御行列などが中断しただけで、
宮司による「神事」だけは途切れることなくしっかり続いている。
極端に言えば、神事自体は宮司一人でもできる。
ちなみに、船渡御が中断したのは、戦国時代、幕末維新期、戦時中の計3回。
平成12年(2000年)の7月25日には、
香惇皇后(昭和天皇の奥様)「剣葬の儀」があったが、
25日に神事を執り行い、神賑行事は26日にずらしている。
この機転、実に大阪らしい。
ついでに申し上げると、
神田祭りの発祥は、徳川家康の天下統一を機に発祥している。
つまり、江戸時代からの祭り。
一方、祇園祭りは、863年、神泉苑で行われた御霊会に端を発すが、
毎年、行われるようになったのは、1世紀後の970年。
それやこれやを総合して、
「天神祭り」は、日本一の祭りである。
「三大」のひとつに入れられて、
喜んでいる場合ではない。
高島先生の講義は、きわめてアカデミックな高尚漫談であった。
(これは、高島先生の講義を元に綴ったものですが、後からぼくが個人的に調べて書いた部分もあるので、
もし、間違い等がございましたら、どうかぼく宛てにお知らせ願いします)
ところで、「三重構造」のお話しを伺いながら、
ぼくは『神戸ルミナリエ』のことを思い出していた。
あれは、震災犠牲者を鎮魂するのが目的。
単にクリスマス時期のイルミネーションイベントになっちゃいけないよなぁ・・・
天神祭りもそう。
花火にばかり気を取られて、神事に目がいかなくなるのは本末転倒。
今年も、しっかりとこのことを念頭に、
「大阪商工会議所」の奉拝船のご案内役を勤めさせて頂きます。
「天神祭り」咄は、これからしばらくシリーズでお届けする予定です。
さて、ここでひとつお知らせ。
『第13回 蝶六の会 天神祭り宵々宮公演』を
7月23日(火)18時30分から繁昌亭にて開催します。
「牛褒め」桂治門 天満宮の神使・牛に因んで。
「御先祖様」桂蝶六 二代目春蝶の作品を改作して、道真バージョン。
「遊山船」月亭文都(月亭八天改め) 大阪夏の風物詩、大川の船遊び。
中入り
「上方唄」三川美恵子(三味線:平田千春) 『菅丞相』ほか。
「質屋蔵」桂蝶六 道真公が登場する咄。
その他の詳細は、近日、このブログにてお知らせします。
桂蝶六のホームページ
小野小町に想いを寄せる深草の少将は、
「百夜、通い続けたら晴れて契りを結ぶ」という小町の言葉を信じ、
深草から小町の住む山科、小野の里まで毎晩通い続けたあげく
百日目の最後の晩に、大雪のため途中で凍死してしまった。
小野小町と言えば、こんな川柳。「玉にきず無いのが小町玉にきず」
小野小町は、生涯未経験だった。
裁縫の「町針」はここからきているのはご承知の通り。
「弁慶と小町は馬鹿だなあかかあ」
これも有名な川柳。破礼だから説明はしない。

ところで、この世界三大美女に「待った」をかけたのが、
大阪天満宮文化研究員も務めておられる高島孝次先生。
去年、「天神祭り」を前に企画されたレクチャーにぼくも参加した。
『世界三大』というのは、
秀でた人にあやかりたいという、
三番目が言うことです。
第一、小野小町をここに入れるのは
日本ぐらいのものです。
高島先生の話は、そんな論調から「日本三大祭り」について及んだ。

船形山車 大阪天満宮所蔵・旧上荷茶船船仲間所有「天神丸」 大阪くらしの今昔館にて
「日本三大祭りとされている神田祭り、祇園祭り、天神祭り
・・・・・・これ自体、おかしいのではないか」
でも、これにはちゃんとした理由がある。
(1)三重構造
伝統的な祭りの多くは、
神事という核の部分と、氏子・崇拝者による「神賑行事」で成り立っている。
天神祭りの場合は、これに観光行事が加わって「三重構造」になっている。
これほどバランスのいい祭りは、それほど多くはない。
(2)動員数
「天神祭り」は見物人だけで、100万人。
一方、「祇園祭り」は今年多かったと言っても、せいぜい80万人。
仙台の「七夕祭り」は200万人だが真ん中の神事というものがない。
(3)歴史
天神祭りの始まりは、平安時代の中期951年。
途中で中断した時もあったとおっしゃる方もあろうが、
それは「神賑行事」=渡御行列などが中断しただけで、
宮司による「神事」だけは途切れることなくしっかり続いている。
極端に言えば、神事自体は宮司一人でもできる。
ちなみに、船渡御が中断したのは、戦国時代、幕末維新期、戦時中の計3回。
平成12年(2000年)の7月25日には、
香惇皇后(昭和天皇の奥様)「剣葬の儀」があったが、
25日に神事を執り行い、神賑行事は26日にずらしている。
この機転、実に大阪らしい。
ついでに申し上げると、
神田祭りの発祥は、徳川家康の天下統一を機に発祥している。
つまり、江戸時代からの祭り。
一方、祇園祭りは、863年、神泉苑で行われた御霊会に端を発すが、
毎年、行われるようになったのは、1世紀後の970年。
それやこれやを総合して、
「天神祭り」は、日本一の祭りである。
「三大」のひとつに入れられて、
喜んでいる場合ではない。
高島先生の講義は、きわめてアカデミックな高尚漫談であった。
(これは、高島先生の講義を元に綴ったものですが、後からぼくが個人的に調べて書いた部分もあるので、
もし、間違い等がございましたら、どうかぼく宛てにお知らせ願いします)
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ところで、「三重構造」のお話しを伺いながら、
ぼくは『神戸ルミナリエ』のことを思い出していた。
あれは、震災犠牲者を鎮魂するのが目的。
単にクリスマス時期のイルミネーションイベントになっちゃいけないよなぁ・・・
天神祭りもそう。
花火にばかり気を取られて、神事に目がいかなくなるのは本末転倒。
今年も、しっかりとこのことを念頭に、
「大阪商工会議所」の奉拝船のご案内役を勤めさせて頂きます。
「天神祭り」咄は、これからしばらくシリーズでお届けする予定です。
さて、ここでひとつお知らせ。
『第13回 蝶六の会 天神祭り宵々宮公演』を
7月23日(火)18時30分から繁昌亭にて開催します。
「牛褒め」桂治門 天満宮の神使・牛に因んで。
「御先祖様」桂蝶六 二代目春蝶の作品を改作して、道真バージョン。
「遊山船」月亭文都(月亭八天改め) 大阪夏の風物詩、大川の船遊び。
中入り
「上方唄」三川美恵子(三味線:平田千春) 『菅丞相』ほか。
「質屋蔵」桂蝶六 道真公が登場する咄。
その他の詳細は、近日、このブログにてお知らせします。
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