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69.魚と牛と遊郭と 天神祭其の3

藤原時平の戯言により、
京都から、遠く筑紫の国へと流された菅原道真公。
延喜3年(909年)、無念のままお亡くなりになった。

その後、相次いだ天変地異。
京都で起こった旱魃、洪水、
道真を追いやった高位高官たちの不慮の死・・・・・・
延喜9年には、藤原時平もまた突然の死を遂げた。

「これはきっと菅原公のたたりに違いない」。

「天満大自在天神」菅原道真公は神となった。

しかし、神になってからも、
道真公は、相変わらずの災難続きであった。

sugawaramitizane.jpg

天神祭の始まりは、
大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)6月1日。

大川より神鉾を流し、流れ着いた場所に
祭場(いわゆる神様の御旅所=休憩所)を設け、禊払いを行った。
これが鉾流神事の始まり。
祭場まで船で神様を奉迎したことが、船渡御の起源となっている。

人口が増え、宅地も増えてくると、
土地の空いている、都合のいい場所に、
神鉾が流れ着いてくれるとは限らない。

そこで、御旅所の地が固定されることに。

まずは、鷺島。
しかし、御旅所になって後、近辺にできたのが「雑喉場」(魚市場)。
季節柄、魚の匂いは致し方ないが。

zakobauoitiba.jpg

そこで、今度は戎島。
と、ここにできたのが外国人居留地、「牛肉屋」もできた。
何と言っても、牛は、天神さんの使いである。

kawagutikyoryuuti.jpg

次に松島。
と、ここには、明治に入って「遊郭」ができた。

matusimayuukaku.jpg

ここでも新たな問題が。
渡御の大事な担ぎ手の男たちが、
松島でゴソッと居なくなってしまうのだ。理由は、言わずもがな。
講社の方もそれを見越して、
遊郭で働く男手を帰りの担ぎ手として雇うようになった。

行きと帰りで、担ぎ手が変わるわけで。

翌日の朝になって、ゾロゾロと帰っていく渡御の男たち。
これが俗にいう「天神さんの朝帰り」。

たらい回しの憂き目に遭った御旅所も
しばらくは松島に落ち着いてはいたのですが、

今度は橋桁が低くなり、船が下を通れなくなった。
原因は、都市開発による地盤沈下である。


現在の船渡御は、大川の「飛翔橋」と「天神橋」の間だけで流しております。

それでも、いくつかかなり低いところがあって、
そこを通るたび、簡易トイレの屋根を崩したり、ちょっとした騒動です。

これ以上地盤沈下が進みますと、
そのうち、渡御行列は、陸渡御のみということになり、
船で流すことが無くなるかも。

一説によると、
これこそ菅公様の望むところだというまことしやかな噂が!?

道真公曰く、
「流されるのは、もう懲り懲りや」


船渡御ナビゲーターの桂蝶六が
満を持してお送りする世にも大胆な天神企画
上方唄もまじえて、うちま~ひょ!!


『第13回 蝶六の会 天神祭り宵々宮公演』を
7月23日(火)18時30分から繁昌亭にて開催します。

「牛褒め」桂治門 天満宮の神使・牛に因んで。
「御先祖様」桂蝶六 二代目春蝶の作品を改作して、道真バージョン。  
「遊山船」月亭文都(月亭八天改め) 大阪夏の風物詩、大川の船遊び。
  中入り
「上方唄」三川美恵子(三味線:平田千春) 『菅丞相』ほか。
「質屋蔵」桂蝶六 道真公が登場する咄。

前売り2000円、当日2500円  チケット発売開始は、5月23日。
06-6352-4874 天満天神繁昌亭


桂蝶六のホームページ
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蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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