73.合わせ鏡・愚家楽記さんの巻 愚か塾発表会
『愚か塾』落語発表会
6月1日(土)12時50分より(終演予定:16時) 高津神社 にて 500円
12時50分 「演者紹介」司会:桂蝶六
13時00分 「寿限無」愚家水蜜桃(名村靖子)
13時10分 「子褒め」天満家痴療(木本正英)
13時30分 「親子酒」愚家かゑる(米田薫)
13時50分 「つる」愚家楽記(吉村吾郎)
14時10分 「親子茶屋」愚家小がん(住岡英毅)
14時30分 中入り
14時40分 「蝦蟇の油」おしゃべり亭一服(尾花正敏)
15時00分 「壺算」賑わい亭楽走(島野哲司)
15時20分 「お楽しみ」桂蝶六
15時30分 「大喜利」司会:桂蝶六
16時00分 終演予定 (時間は、あくまでも目安です)
喜六といえば、大阪落語においては阿呆の代名詞。
「つる」という名前の由来を、彼は町内のご隠居に尋ねた。
「まず最初、首長鳥のオンが一羽、ツーと飛んできて
浜辺の松へポイッと止まった。
後へさして、メンがルーッと飛んできた。それでツルや」
「あ、なるほど、これはええこと聞いた」
ご隠居になぶられたとも知らず、喜六はこれを町内に説いて廻る。
たったこれだけの咄。『つる』
いわゆる前座咄の部類に入るが、
単純がゆえ、これで笑いを取るのはかえってムツカシイ。
ストーリー、内容だけで引っ張っていけるような咄ではない。
今、愚家楽記(吉村吾郎)さんがこの咄に取りかかっている。

稽古初日、
「落語は好きで昔からよく聞いてたんですが、
演じる方はまだ経験がなくて・・・・・・」と楽記さん。
そういう方、大歓迎である。
「落語を実は全く知らなくて・・・・・・」
こういう方は、もっと大歓迎。
なまじ中途半端な知識を持つより、真っ白な方が、
稽古の飲み込みは確実に早い。
かくいうぼくは、府立桜塚高校時代「落研」に所属していた。
大阪芸術大学は一年で中退したが、ここでもやはり落語研究会。
都合4年のアマチュア時代は、テープを聴いての見よう見まねだった。
しかし、入門してからのぼくは、
この時代に身につけた悪癖に悩まされることになった。
無理に絞ったような発声。取ってつけたような落語家口調。
笑わそう意識からくる作為的演技。マニアにありがちな知ったか言動。
いや、今もなお、まだぼくの中で引きずっている。
師匠もきっといい気はしなかっただろう。
最近、読んだ本のなかで、こんな件があった。
たとえば政局の話しかしない記者っているじゃない。
内閣不信任案に対して小沢周辺の人間はどっちに動くとか、
そんな読みばかりしている。
そこには政治思想もないのに、
そういうもののほうをまともな意見として聞くのは何なのか。
論争とかゴシップにしか関心のない文学研究家と同じだよ。
あ痛、たたた……全く、ぼくの姿ではないか。
落語の伝えたい中身や思い、考え方などどうでもよくて、
芸界ゴシップにばかり一喜一憂していたあの頃。
当時、「落語家の○○さんと話したことがある」というのが、
仲間内でのステイタスにもなっていたし、
今思えばどうでもいい知識の量を競いあった。
そこへいくと、我が『愚か塾』の楽記さんは、いい意味でとても真っ白。
それに、ぼくの咄を面白いぐらい、よく真似てくれる。
癖も、節もすべて。嬉しいやら、恥ずかしいやら。
稽古は、覚えるものでなく、飲み込むものである。
実は、ぼくが一番稽古つけてもらっているのかも知れない。
まるで合わせ鏡。
おおいに期待している。
「真似、芸夢」(芸は、真似から)
高津神社
桂蝶六のホームページ
6月1日(土)12時50分より(終演予定:16時) 高津神社 にて 500円
12時50分 「演者紹介」司会:桂蝶六
13時00分 「寿限無」愚家水蜜桃(名村靖子)
13時10分 「子褒め」天満家痴療(木本正英)
13時30分 「親子酒」愚家かゑる(米田薫)
13時50分 「つる」愚家楽記(吉村吾郎)
14時10分 「親子茶屋」愚家小がん(住岡英毅)
14時30分 中入り
14時40分 「蝦蟇の油」おしゃべり亭一服(尾花正敏)
15時00分 「壺算」賑わい亭楽走(島野哲司)
15時20分 「お楽しみ」桂蝶六
15時30分 「大喜利」司会:桂蝶六
16時00分 終演予定 (時間は、あくまでも目安です)
喜六といえば、大阪落語においては阿呆の代名詞。
「つる」という名前の由来を、彼は町内のご隠居に尋ねた。
「まず最初、首長鳥のオンが一羽、ツーと飛んできて
浜辺の松へポイッと止まった。
後へさして、メンがルーッと飛んできた。それでツルや」
「あ、なるほど、これはええこと聞いた」
ご隠居になぶられたとも知らず、喜六はこれを町内に説いて廻る。
たったこれだけの咄。『つる』
いわゆる前座咄の部類に入るが、
単純がゆえ、これで笑いを取るのはかえってムツカシイ。
ストーリー、内容だけで引っ張っていけるような咄ではない。
今、愚家楽記(吉村吾郎)さんがこの咄に取りかかっている。

稽古初日、
「落語は好きで昔からよく聞いてたんですが、
演じる方はまだ経験がなくて・・・・・・」と楽記さん。
そういう方、大歓迎である。
「落語を実は全く知らなくて・・・・・・」
こういう方は、もっと大歓迎。
なまじ中途半端な知識を持つより、真っ白な方が、
稽古の飲み込みは確実に早い。
かくいうぼくは、府立桜塚高校時代「落研」に所属していた。
大阪芸術大学は一年で中退したが、ここでもやはり落語研究会。
都合4年のアマチュア時代は、テープを聴いての見よう見まねだった。
しかし、入門してからのぼくは、
この時代に身につけた悪癖に悩まされることになった。
無理に絞ったような発声。取ってつけたような落語家口調。
笑わそう意識からくる作為的演技。マニアにありがちな知ったか言動。
いや、今もなお、まだぼくの中で引きずっている。
師匠もきっといい気はしなかっただろう。
最近、読んだ本のなかで、こんな件があった。
たとえば政局の話しかしない記者っているじゃない。
内閣不信任案に対して小沢周辺の人間はどっちに動くとか、
そんな読みばかりしている。
そこには政治思想もないのに、
そういうもののほうをまともな意見として聞くのは何なのか。
論争とかゴシップにしか関心のない文学研究家と同じだよ。
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あ痛、たたた……全く、ぼくの姿ではないか。
落語の伝えたい中身や思い、考え方などどうでもよくて、
芸界ゴシップにばかり一喜一憂していたあの頃。
当時、「落語家の○○さんと話したことがある」というのが、
仲間内でのステイタスにもなっていたし、
今思えばどうでもいい知識の量を競いあった。
そこへいくと、我が『愚か塾』の楽記さんは、いい意味でとても真っ白。
それに、ぼくの咄を面白いぐらい、よく真似てくれる。
癖も、節もすべて。嬉しいやら、恥ずかしいやら。
稽古は、覚えるものでなく、飲み込むものである。
実は、ぼくが一番稽古つけてもらっているのかも知れない。
まるで合わせ鏡。
おおいに期待している。
「真似、芸夢」(芸は、真似から)
高津神社
桂蝶六のホームページ
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