80.ナゾランケイコ 世阿弥考2
「おまはんは、もうこの世界に入って何年になる?」
「はい、ちょうど10年です」
「ほうか、10年かぁ、ほたら、もうええかな。
……なあ、今日はちょっと違うことしよ」
「はっ?…」
「うん、おまはんがこれまでやってきた咄を、ちょっと挙げてんか」
「ええと、子ほめに牛ほめ、皿屋敷、持参金……」
「ああせや!…その、子ほめにしよ」
「はっ?」
「いや、せやから、今からその、春蝶さんがおまはんにつけた『子ほめ』をやってんか」
うちの師匠の二代目春蝶が亡くなって、数ヵ月後のことだった。

『子ほめ』は、ぼくが故・二代目春蝶から最初につけて頂いた咄だ。
ぼくは、その『子ほめ』を語り始めた。
「こんにちは」
「ああ、おまはんかいな、ささこっち上がんなはれ」
「へえおおきに…今、横町で源さんに会うたんだ。ほたらすぐ行け、
早いこと行って呼ばれて来い、ちゅうて。
何でも聞いたら、あんたとこにタダの酒があるんやそうでんな。
一杯おくんなはれ、そのタダの酒」
ここまで語った時、その師匠は
「おっと、そこまで!」と手を打ち、ぼくの言葉をいきなり止めた。
「なあ蝶六、ここまでのくだりって、時間にしてどれぐらいかかってる?」
「ええと、15秒ぐらいでっしゃろか?」
「そやろ。せやから、これを今から30秒に伸ばしてやってみてんか」
意味が分からず、きょとんとしているぼくに、この師匠はこう続けられた。
「つまり、この男は何が目的や?」
「ええと……タダ酒を飲ませてもらおうと」
「そや。この男は、タダ酒が飲みたいねん。
その”気”が理解できたら、何ぼでも時間を伸ばせるはずや」
ぼくは、とにかく咄を始めた。
「……いや、わてね、喜んでますねん、ほんまにあんたはええお人や。
こんな嬉しいことはおまへん。何ちゅうたかて、酒はわての大好物……」。
元の台詞にはなかった言葉をどんどん加えていった。
「そうそう、そんな感じや。よっしゃ、ほな、わしもやる」。
それからは、二人で交互に、その時間を延ばしつつ、
同じ箇所を繰り返した。
………気がつくと、1時間をゆうに過ぎていた。
憧れの師匠との至福の時間。時の経つのは実に早かった。
「つまり、今日やったんは、なぞらん稽古や」
「ナゾラン…ケイコ、ですか?」
「せや。なぞらん稽古や」
同じ咄も何度も繰っているうち、
つい、台詞をなぞっているだけの自分がいる。
この師匠はきっと、ぼくにその事を伝えたかった。
もちろん、こんな稽古は滅多にないし、
最初はむしろ一言一句きっちり台詞を覚えるというのが基本だ。
だからこそ、師匠は、ぼくに入門してからの歳月を聞いて来られた。
このような稽古は、その師匠の弟子に伺ったところ、
一度も経験したことない、という。
あの時だけの特別メニューだったのか。
あるいは、ぼくの芸を見かねてのことだったのかも知れない。
稽古というものは、まず「型」から。
しかし、その「型」に捉われ過ぎるのも良くない。
「型は、創造性を促すこともあれば、創造性を妨げることもある。
それは稽古そのもののダイナミズムである。
型の伝承は人間関係(師弟関係)の中でおこなわれる。
人間関係を欠いた型の伝承は危険とされる。
たとえば、ビデオや写真によって
「形」を真似ることはできるが、
その背後にある「型」を学ぶことはできない。
既にその型を身に付けた人の目には、
ビデオの動きは、まさにその型の表現として映る。
しかしその型をこれから学ぼうとしている者の目には、形だけが残る。
一つの固定した形を型と思い込むとき、
その型は固定した鋳型になる。
師匠が多様な形を見せる。
同じ型がそのつど微妙に違う形をとって現れる。
その違いが学ぶ側にとっては重要な手掛かりとなる。
「生きた型」は多様な形に展開する可能性を秘めている。」
西平直 『世阿弥の稽古哲学』 より
……あの時のお稽古は、
これまで色々つけて頂いたなかでも特に印象に残っている。
ぼくは、その師匠に他の演目もお稽古して頂いたが、
このとき、毎回台詞が変わるので難渋したのを覚えている。
でも、今から思えばそれこそ重要な手掛かりであった。
台詞が変わるなかでも、絶対に変えてはならないポイントがあった。
あれから早や20年。
ぼくの課題は、「型」を後進にどう引き継ぐか?
いや、その前に、
いかに「型」を身につけるか、という問題である。
「♪ 欠いた型、欠いた型、
欠いたかった!…NO!!」
いよいよ明日です!!!
第24回 「フレイムハウス落語講座」
平成25年6月11日(火)19時00分~20時30分
地下鉄北浜駅下車、5番出口から徒歩5分、フレイムハウス
2000円、予約制(20名様まで、あと若干名)
(お申込み)
フレイムハウス06-6226-0107(営業時間11時~17時)
桂蝶六のホームページ「桂蝶六 口は賑わいのもと」
もしくは、このブログのコメント欄にて。
まずは「東の旅・発端」「大道芸口上」「狂言台詞」を使った発語メソッドから。
初心者向けの落語ワークショップ。初めての方もお楽しみ頂けます。
落語も一席。1時間半はあっという間です。

近頃は、女性の方も徐々に増えています。
前回の打ち上げは、まるで「女子会」のようでした。
桂蝶六のホームページ
「はい、ちょうど10年です」
「ほうか、10年かぁ、ほたら、もうええかな。
……なあ、今日はちょっと違うことしよ」
「はっ?…」
「うん、おまはんがこれまでやってきた咄を、ちょっと挙げてんか」
「ええと、子ほめに牛ほめ、皿屋敷、持参金……」
「ああせや!…その、子ほめにしよ」
「はっ?」
「いや、せやから、今からその、春蝶さんがおまはんにつけた『子ほめ』をやってんか」
うちの師匠の二代目春蝶が亡くなって、数ヵ月後のことだった。

『子ほめ』は、ぼくが故・二代目春蝶から最初につけて頂いた咄だ。
ぼくは、その『子ほめ』を語り始めた。
「こんにちは」
「ああ、おまはんかいな、ささこっち上がんなはれ」
「へえおおきに…今、横町で源さんに会うたんだ。ほたらすぐ行け、
早いこと行って呼ばれて来い、ちゅうて。
何でも聞いたら、あんたとこにタダの酒があるんやそうでんな。
一杯おくんなはれ、そのタダの酒」
ここまで語った時、その師匠は
「おっと、そこまで!」と手を打ち、ぼくの言葉をいきなり止めた。
「なあ蝶六、ここまでのくだりって、時間にしてどれぐらいかかってる?」
「ええと、15秒ぐらいでっしゃろか?」
「そやろ。せやから、これを今から30秒に伸ばしてやってみてんか」
意味が分からず、きょとんとしているぼくに、この師匠はこう続けられた。
「つまり、この男は何が目的や?」
「ええと……タダ酒を飲ませてもらおうと」
「そや。この男は、タダ酒が飲みたいねん。
その”気”が理解できたら、何ぼでも時間を伸ばせるはずや」
ぼくは、とにかく咄を始めた。
「……いや、わてね、喜んでますねん、ほんまにあんたはええお人や。
こんな嬉しいことはおまへん。何ちゅうたかて、酒はわての大好物……」。
元の台詞にはなかった言葉をどんどん加えていった。
「そうそう、そんな感じや。よっしゃ、ほな、わしもやる」。
それからは、二人で交互に、その時間を延ばしつつ、
同じ箇所を繰り返した。
………気がつくと、1時間をゆうに過ぎていた。
憧れの師匠との至福の時間。時の経つのは実に早かった。
「つまり、今日やったんは、なぞらん稽古や」
「ナゾラン…ケイコ、ですか?」
「せや。なぞらん稽古や」
同じ咄も何度も繰っているうち、
つい、台詞をなぞっているだけの自分がいる。
この師匠はきっと、ぼくにその事を伝えたかった。
もちろん、こんな稽古は滅多にないし、
最初はむしろ一言一句きっちり台詞を覚えるというのが基本だ。
だからこそ、師匠は、ぼくに入門してからの歳月を聞いて来られた。
このような稽古は、その師匠の弟子に伺ったところ、
一度も経験したことない、という。
あの時だけの特別メニューだったのか。
あるいは、ぼくの芸を見かねてのことだったのかも知れない。
稽古というものは、まず「型」から。
しかし、その「型」に捉われ過ぎるのも良くない。
「型は、創造性を促すこともあれば、創造性を妨げることもある。
それは稽古そのもののダイナミズムである。
型の伝承は人間関係(師弟関係)の中でおこなわれる。
人間関係を欠いた型の伝承は危険とされる。
たとえば、ビデオや写真によって
「形」を真似ることはできるが、
その背後にある「型」を学ぶことはできない。
既にその型を身に付けた人の目には、
ビデオの動きは、まさにその型の表現として映る。
しかしその型をこれから学ぼうとしている者の目には、形だけが残る。
一つの固定した形を型と思い込むとき、
その型は固定した鋳型になる。
師匠が多様な形を見せる。
同じ型がそのつど微妙に違う形をとって現れる。
その違いが学ぶ側にとっては重要な手掛かりとなる。
「生きた型」は多様な形に展開する可能性を秘めている。」
西平直 『世阿弥の稽古哲学』 より
![]() | 世阿弥の稽古哲学 (2009/11) 西平 直 商品詳細を見る |
……あの時のお稽古は、
これまで色々つけて頂いたなかでも特に印象に残っている。
ぼくは、その師匠に他の演目もお稽古して頂いたが、
このとき、毎回台詞が変わるので難渋したのを覚えている。
でも、今から思えばそれこそ重要な手掛かりであった。
台詞が変わるなかでも、絶対に変えてはならないポイントがあった。
あれから早や20年。
ぼくの課題は、「型」を後進にどう引き継ぐか?
いや、その前に、
いかに「型」を身につけるか、という問題である。
「♪ 欠いた型、欠いた型、
欠いたかった!…NO!!」
いよいよ明日です!!!
第24回 「フレイムハウス落語講座」
平成25年6月11日(火)19時00分~20時30分
地下鉄北浜駅下車、5番出口から徒歩5分、フレイムハウス
2000円、予約制(20名様まで、あと若干名)
(お申込み)
フレイムハウス06-6226-0107(営業時間11時~17時)
桂蝶六のホームページ「桂蝶六 口は賑わいのもと」
もしくは、このブログのコメント欄にて。
まずは「東の旅・発端」「大道芸口上」「狂言台詞」を使った発語メソッドから。
初心者向けの落語ワークショップ。初めての方もお楽しみ頂けます。
落語も一席。1時間半はあっという間です。

近頃は、女性の方も徐々に増えています。
前回の打ち上げは、まるで「女子会」のようでした。
桂蝶六のホームページ
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