88.モードを取り込む コトバとカラダの作法より
「今日はひとつ、
わし、○○師匠でやってみるさかいな」
うちの師匠は、時折こんな言葉を言い残しつ高座に向かっていった。
同じ咄でも、少しモードを変えて演じてみる。
初めてうちの師匠の、その咄を聞くお客には、
その違いがよく分からないかも知れない。
でも、その咄を始終、袖から聞いているぼくには、
師匠のそんな試みがたまらなく嬉しかった。
間の取り方、突っ込みの言い回し、ちょっとしたメロディーライン・・・・・・
それぞれの師匠によって、それぞれの作法を持ち合わせている。
それをその都度、ちょっと取り入れて、試してみようというのだ。
これが冒頭の一言。

うちの師匠、故二代目桂春蝶
ところで、最近、読んだ対談にこんな件があった。
正剛「ぼくはスタッフたちの物真似をするのが
ものすごくうまいんですよ。
しゃべり方とか歩き方の略図的原型を取り出すのは
結構得意ですよ」
泯 「ぼくも取材を受けているときに、
インタビューしている人のクセとかが
どんどん入ってきてしまいますよね。
けっこうそれが頼りになる。
この人にはこんなふうに答えていくといいのかなとかね。
そうすると、案の定喜んでくれたりする。
でも、一番つかむのが早いのは雰囲気です。
目に見えないからつかみやすいんじゃないかと思う。
正剛「森村泰昌が同じこと言ってた。
このあいだぼくの『連塾』で、森村さんが『松岡正剛になる』
ということをやってくれたんです。
髪型とかメイクとかメガネで本当にぼくの顔かたちを
うまくつくってくれた。
一番力を入れて投資したのはヒゲだと言ってましたけどね。
でも、そのとき、かたちを真似るのはむしろ簡単で、
雰囲気とか匂いとか思想とか、
そういうものを真似ようとしない限り、
近づけないんだと言ってましたね。
泯 「わかりますねえ。二人組になって相手を真似ていくという
エクササイズをよくやるんですが、
そのときもまず雰囲気から入る。
その人のもつ空気感に一緒になっていくわけです。
そうなってきたらディテールを真似していく。
首がちょっと前かがみになるとか、
どっちの肩がちょっと下がっているといったかたちを真似る。
正剛「真似るというのは最高のエクササイズです。
『編集学校』では、『創文』といって、
文章をつくる稽古をいろいろやるんだけど、
そのなかに、作家の文体を真似るというのがある。
あるニュース記事の文章があって、
それを野坂昭如とか三島由紀夫の文体で書き換える。
最終的には、自分のなかにあるいくつものボキャブラリー
を自由にまたげるようにしたいんだけど、
そのために、人の文体を乗っ取ってみることによって、
『これが自分だ』と思い込んでいるものから自由になってみる。
これを繰り返していくんです」
ところで、この「作家の文体を真似る」という稽古。
ぼくも挑戦してみた。恥を忍んで公表する。
身近な人、または家族の肖像をテーマに、作家の文体を真似ながら
400字以内にまとめよ。
【吉本ばなな風に】
□□□□*□□□□■□□□□*□□□□■□□□□*□□□□■
日本が高度成長に沸いていた頃、父はもっぱらモーレツ社員だっ
た。やがて自分で事業を興し一国一城の主を気取るようになった。
しかし、それもあえなく倒産に追い込まれた。でも、七転び八起き
が父の信条だった。さすがに70を超えるときっぱり事業も諦めたが、
やはり家にじっとしていられなかったのだろう。今度は私の仕事を
手伝うと言いだした。「町の有力者とは心安いから話をつけてやる」
父のそんなやり方が私にはどうしても合わなかった。「業界も違う
し、仕事のスタイルも合わない」と慌てるように言葉を返す私。以
来、父とはずっと疎遠である。そんな折、久しぶりに父から一枚の
ファックスが届けられた。「元気にやっているか?」筆圧が強く極
端に右肩上がりだった筆跡はもうそこにはなかった。代わりに干か
らびたミジンコの群れが震えながら泳いでいた。
【野坂昭如風に】
□□□□*□□□□■□□□□*□□□□■□□□□*□□□□■
日本高度成長の時代、モーレツ社員として働いた父は、仕事だけ
が生甲斐の人で、吹けば飛ぶような将棋の駒に己を重ね、調子はず
れの村田英夫が父の十八番、マイクにド演歌をぶつけつつ、禍福は
あざなえる縄のごとし、苦あれば楽あり、汗の分だけ苦労が報われ
るが信条、擦り減った靴は努力の賜とわが身の労苦に充足を抱いて
いた。木下藤吉郎を師と崇めるジャパニーズドリームの信奉者にと
って、根回しや付け届けは礼儀のうちと顔の広さに物を言わせ、ぐ
んぐん頭角を現した父は、やがて自らの会社を興したものの倒産の
憂き目、すぐの立ち直りに周囲を驚かせたものの、またもやの転倒、
しかし七転び八起きの信条は萎えることなくますますもって盛んで
あった。そんな父もようやく油が切れたか、いつしか好々爺として
の余生、我に「元気にやっているか」の文字を送れども、もはやそ
こにはかつての覇気はない。
ぼくが学んだ編集学校はここ
落語家の世界では、ある期間を過ぎると、
自分の師匠以外の、よその師匠にもお稽古をつけてもらうことになる。
多くの師匠のモードを、
そっくり胎内に取り込んでいく作業。
「人の文体を乗っ取ってみることによって、
『これが自分だ』と思い込んでいるものから
自由になってみるということ」
どこか符合している。

大阪天満宮の境内に「繁昌亭」という小屋が開席したのが、平成18年9月15日。
早7年になろうとしている。
生魂国神社で「彦八まつり」が開かれる2日間。これを除く363日。
毎日のように寄席が開かれている。
つまり、我々落語家は、毎日欠かさず、
色んなモードを、高座の袖から、目の当たりにすることができる。
これって、落語界にとって、大きな前進なんだなあ。
意身伝心: コトバとカラダの作法を読んで感じたこと。
真似てみる。これぞ玄人へ一歩でも近づく最短の道。
「玄人、真似」
桂蝶六のホームページはここをクリック
桂蝶六インタビュー記事はここをクリック
わし、○○師匠でやってみるさかいな」
うちの師匠は、時折こんな言葉を言い残しつ高座に向かっていった。
同じ咄でも、少しモードを変えて演じてみる。
初めてうちの師匠の、その咄を聞くお客には、
その違いがよく分からないかも知れない。
でも、その咄を始終、袖から聞いているぼくには、
師匠のそんな試みがたまらなく嬉しかった。
間の取り方、突っ込みの言い回し、ちょっとしたメロディーライン・・・・・・
それぞれの師匠によって、それぞれの作法を持ち合わせている。
それをその都度、ちょっと取り入れて、試してみようというのだ。
これが冒頭の一言。

うちの師匠、故二代目桂春蝶
ところで、最近、読んだ対談にこんな件があった。
正剛「ぼくはスタッフたちの物真似をするのが
ものすごくうまいんですよ。
しゃべり方とか歩き方の略図的原型を取り出すのは
結構得意ですよ」
泯 「ぼくも取材を受けているときに、
インタビューしている人のクセとかが
どんどん入ってきてしまいますよね。
けっこうそれが頼りになる。
この人にはこんなふうに答えていくといいのかなとかね。
そうすると、案の定喜んでくれたりする。
でも、一番つかむのが早いのは雰囲気です。
目に見えないからつかみやすいんじゃないかと思う。
正剛「森村泰昌が同じこと言ってた。
このあいだぼくの『連塾』で、森村さんが『松岡正剛になる』
ということをやってくれたんです。
髪型とかメイクとかメガネで本当にぼくの顔かたちを
うまくつくってくれた。
一番力を入れて投資したのはヒゲだと言ってましたけどね。
でも、そのとき、かたちを真似るのはむしろ簡単で、
雰囲気とか匂いとか思想とか、
そういうものを真似ようとしない限り、
近づけないんだと言ってましたね。
泯 「わかりますねえ。二人組になって相手を真似ていくという
エクササイズをよくやるんですが、
そのときもまず雰囲気から入る。
その人のもつ空気感に一緒になっていくわけです。
そうなってきたらディテールを真似していく。
首がちょっと前かがみになるとか、
どっちの肩がちょっと下がっているといったかたちを真似る。
正剛「真似るというのは最高のエクササイズです。
『編集学校』では、『創文』といって、
文章をつくる稽古をいろいろやるんだけど、
そのなかに、作家の文体を真似るというのがある。
あるニュース記事の文章があって、
それを野坂昭如とか三島由紀夫の文体で書き換える。
最終的には、自分のなかにあるいくつものボキャブラリー
を自由にまたげるようにしたいんだけど、
そのために、人の文体を乗っ取ってみることによって、
『これが自分だ』と思い込んでいるものから自由になってみる。
これを繰り返していくんです」
![]() | 意身伝心: コトバとカラダの作法 (2013/07/29) 田中泯、松岡正剛 他 商品詳細を見る |
ところで、この「作家の文体を真似る」という稽古。
ぼくも挑戦してみた。恥を忍んで公表する。
身近な人、または家族の肖像をテーマに、作家の文体を真似ながら
400字以内にまとめよ。
【吉本ばなな風に】
□□□□*□□□□■□□□□*□□□□■□□□□*□□□□■
日本が高度成長に沸いていた頃、父はもっぱらモーレツ社員だっ
た。やがて自分で事業を興し一国一城の主を気取るようになった。
しかし、それもあえなく倒産に追い込まれた。でも、七転び八起き
が父の信条だった。さすがに70を超えるときっぱり事業も諦めたが、
やはり家にじっとしていられなかったのだろう。今度は私の仕事を
手伝うと言いだした。「町の有力者とは心安いから話をつけてやる」
父のそんなやり方が私にはどうしても合わなかった。「業界も違う
し、仕事のスタイルも合わない」と慌てるように言葉を返す私。以
来、父とはずっと疎遠である。そんな折、久しぶりに父から一枚の
ファックスが届けられた。「元気にやっているか?」筆圧が強く極
端に右肩上がりだった筆跡はもうそこにはなかった。代わりに干か
らびたミジンコの群れが震えながら泳いでいた。
【野坂昭如風に】
□□□□*□□□□■□□□□*□□□□■□□□□*□□□□■
日本高度成長の時代、モーレツ社員として働いた父は、仕事だけ
が生甲斐の人で、吹けば飛ぶような将棋の駒に己を重ね、調子はず
れの村田英夫が父の十八番、マイクにド演歌をぶつけつつ、禍福は
あざなえる縄のごとし、苦あれば楽あり、汗の分だけ苦労が報われ
るが信条、擦り減った靴は努力の賜とわが身の労苦に充足を抱いて
いた。木下藤吉郎を師と崇めるジャパニーズドリームの信奉者にと
って、根回しや付け届けは礼儀のうちと顔の広さに物を言わせ、ぐ
んぐん頭角を現した父は、やがて自らの会社を興したものの倒産の
憂き目、すぐの立ち直りに周囲を驚かせたものの、またもやの転倒、
しかし七転び八起きの信条は萎えることなくますますもって盛んで
あった。そんな父もようやく油が切れたか、いつしか好々爺として
の余生、我に「元気にやっているか」の文字を送れども、もはやそ
こにはかつての覇気はない。
ぼくが学んだ編集学校はここ
落語家の世界では、ある期間を過ぎると、
自分の師匠以外の、よその師匠にもお稽古をつけてもらうことになる。
多くの師匠のモードを、
そっくり胎内に取り込んでいく作業。
「人の文体を乗っ取ってみることによって、
『これが自分だ』と思い込んでいるものから
自由になってみるということ」
どこか符合している。

大阪天満宮の境内に「繁昌亭」という小屋が開席したのが、平成18年9月15日。
早7年になろうとしている。
生魂国神社で「彦八まつり」が開かれる2日間。これを除く363日。
毎日のように寄席が開かれている。
つまり、我々落語家は、毎日欠かさず、
色んなモードを、高座の袖から、目の当たりにすることができる。
これって、落語界にとって、大きな前進なんだなあ。
意身伝心: コトバとカラダの作法を読んで感じたこと。
真似てみる。これぞ玄人へ一歩でも近づく最短の道。
「玄人、真似」
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