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90.”修行論(内田樹)”より 繁昌亭落語家入門講座9 

「同じ咄、同じ台詞のはずなのに、
 何故にこうも違うのか」


おそらく受講された誰もがそう感じている。

「演者」というフィルターの違いで、様々な伝わり方。
それを実感できるのがこの講座の面白いところ。


今、『繁昌亭落語家入門講座』初級コースで取り上げているのは、
「くちなし」「兵庫船」「道具屋」の3席。

受講者23名全員がこれに取り掛かる。

蝶六、胸に手をあて

ぼくはこれまで色んな場で「落語教室」の講師というものを勤めてきた。
その受講生の多くは、ぼくより年長で社会経験も豊富な方々。

落語には、その「年輪」がそのまま反映される。

ある中小企業の社長。旦那が番頭を諭すシーンなど、情もあり、
その説得力に驚かされた。

ある妙齢の女性。噛んで含むような丁寧な物言いがとてもいい感じ。
聞けば、長年保育士を勤めておられたとのことだった。



「年輪」は、「癖」とも言い換えられる。

柔らかい物言いが苦手な方。下からモノを言うのがまるで苦手な方。
口調がつい威圧的になってしまう方。言葉尻が消えてしまう気弱な方。
目が泳いだり視線が常に上向きな方。息浅く話し方に落ち着きのない方。

これら全て、長年の生活スタイルから、知らず知らず身についた「癖」。


でも、こういった悪癖も、落語への取り組みにより解消される。
ぼくはこれまでずいぶん目の当たりにしてきた。

落語を演じるということは、
そこに登場する多くの「人格」や「立場」を
自身の身体で体感するということ。


花丸、米輔、蝶六
左から林家花丸、桂米輔(主任講師)、ぼく


ところで、ぼくらは、落語家として落語に接し、師匠に仕えてきた。
どの世界にも、その世界特有の作法というものがある。
ぼくらのいう「修行」の世界を、
そのままこの「講座」に当てはめたのでは無理も生じよう。
しかし、「稽古」の本質は、何ら変わりがない。
少し長いが、以下は修業論 (光文社新書)からの引用。


 修行というものは「いいから黙って言われた通りのことをしなさい」
 というものですけれど、いまどきの若い人たちには、
 そんなことを頭ごなしに言ってもまず伝わりません。
 どんなことについても、
 「その実用性と価値についてあらかじめ一覧的に開示すること」を
 要求しなければならないと、子どもの頃から教わっているのです。
 
 努力に対して、どのような報酬があるかがあらかじめ示されているから、
 人間は努力する。報奨が示されない場合に、努力する人間などいない。
 
 「いいから黙ってやれ」というようなことを師匠は言いますが、
 言われたことをやらなかったからといって、
 必ずしも「罰を受ける」ということはありません。
 逆に、言われたことをやったからといって
 「ほめられる」わけでもありません。
 
 同じことを(師匠は)延々と繰り返しやらせることもあるし、
 そうかと思うと、まだ出来てもいないはずなのに、
 「じゃあ、次はこれ」と新しい課題を与えることもある。
 処罰も報奨もなし。批評も査定も格付けもなし。
 それが修行です。
 
 走っているうちに「自分だけの特別なトラック」が
 目の前に現れてくる。
 新しいトラックにコースを切り替えて走り続ける。
 さらにあるレベルに達すると、また別のトラックが現れてくる。
 また切り替える。
 
 そのつどのトラックは、それぞれ長さも感触も違う。
 そもそも「どこに向かう」かが違う。
 はっと気がつくと、誰もいない場所を一人で走っている。
 もう同一のトラックを並走している競争の相手はどこにもいない。
 修行というものは、そういうものです。
 
 修行する人は、「自分が何をしているのか」を
 「しおえた後」になってしか言葉にできない。
 自分に説明できないことを、他人に説明できるはずがない。
 他人に説明できないことについて、
 他人との優劣や強弱や巧拙を論じられるはずがない。 



修業論 (光文社新書)修業論 (光文社新書)
(2013/07/17)
内田 樹

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「師弟」における稽古方法は、ある程度確立されていても、
「講座」における稽古方法は、まだ確立されていないというのが現状。

「落語講座」というものが、方々で頻繁に開かれるようになったのは、
ごく最近のことである。そんななかでの試行錯誤。


……さて、そうこうしている間に、修了式が近づいてきた。
発表される6名を23名のうちから選ばなければならない。

ぼくも、主任講師である桂米輔師に私見を述べさせてもらった。

(1)マスター=台詞をしっかり「肚」に収められた方。
(2)リスペクト=自らをより「スポンジ」にできた方。
(3)パーソナリティー=「社会人落語」としての魅力が感じられる方。


これが、ぼくの基準。
単に優劣、巧拙といったものではなく、
「プロ」みたいになるのが目的ではない。

そういうことなので、誰が選ばれても恨まないでね。
最終結果は、全て米輔師匠に委ねました。
(ずるいでしょ?……これがぼくの生き方)



落語を演じる。何かが変わる。

ともあれ、「稽古」が大事だ……とは、ぼくも思ってはいる。

「稽古」と疎遠になればなるほど、
客席との関係も疎遠になってしまう今日この頃。



「あなた変わりはないですか。
 日毎、寒さがつのります
 ―― 稽古不足の貴方へ 」
 
 
 
 


繁昌亭のホームページ


桂蝶六のホームページ
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蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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