94.ヒーローの条件
「ええか、ヒーローになるもんはやな、
最初に、挫折っちゅうもんを
必ず味わうもんやねん」
今も師匠のこの言葉だけはしっかりと覚えている。
当時、ぼくはラジオ大阪の『ヤングラジオ』という番組で
パーソナリティーの一人として参加していた。
入門してまだ半年の頃だった。
野球中継がない半年間という契約だったが、
それが終了したとき、ぼくは妙に虚しさを感じていた。
芸人枠は、月曜日が楽珍、火曜日があやめ、
水曜日がすいっちょん、金曜日がタージンという布陣だった。
ちなみにぼくは木曜日の担当だった。
タージンはすでにメディアで売れていたし、
すいっちょんも『ウィークエンダー』という番組で全国ネット。
あやめや楽珍も、結構注目されていて、
結局、ぼく一人が次のレギュラー番組を得ないまま、
取り残された形になってしまった。
ぼくはチャンスを掴み損ねたのだ。

当時、ぼくは内弟子で師匠の家に住み込みだった。
番組が終わり、師匠宅の二階にある小部屋、
ぼくは自分のあまりの不甲斐なさにひとり悔し泣きしていた。
とその時、
トントントンと階段を駆け上ってくる音が聞こえた。
ぼくは慌てて涙を拭った。
ドアの向こうから師匠の声がした。
「蝶六、あのなあ・・・・・・」
その後に続いたのが、冒頭の一言であった。
師匠はそれだけ言うと、
あとはもう何も言わず、
また階段を降りていかれた。

英雄アキレウスには、
アキレス腱という弱点があり、
武蔵坊弁慶には、
弁慶の泣き所という弱点があった。
勿論、それが致命傷になるということがあるが、
しかし、それが新たな「強さ」の契機になる。
不足はいつまでも弱い不足のままでなく、
いつしか強い満足に反転していく
可能性がある。
松岡正剛 『フラジャイル』より
去年のことだった。
あやめ姉が「蝶六くん、いっぺん同窓会やれへん?」
と、声を掛けてくれた。
ぼくは、タージンさんや楽珍兄に連絡を取った。
『ヤングラジオ』の仲間であり、共に芸歴30年。
当時、ラジオ大阪の新人アナだった原田年晴さんも
駆けつけてくれ、座談会の司会まで勤めて下さった。
みんなそれぞれにこれからの抱負を語った。
先のチラシ写真がその催し。
あれから30年。
「おい、蝶六、性根入れんかい!!
いつまで挫折しとおんねん!!!」
どこからか、師匠の声が聞こえてくる。
・・・・・・今まだ、ヒーローには程遠く、
ずっと「不足」を感じながら生きている。
「野心」は捨てていない。
この飢えた「不足」が支えになっている。
「飢えを抱ァいて歩こうよ、
涙がこぼれないように♪♪」
蝶六のホームページはここをクリック
最初に、挫折っちゅうもんを
必ず味わうもんやねん」
今も師匠のこの言葉だけはしっかりと覚えている。
当時、ぼくはラジオ大阪の『ヤングラジオ』という番組で
パーソナリティーの一人として参加していた。
入門してまだ半年の頃だった。
野球中継がない半年間という契約だったが、
それが終了したとき、ぼくは妙に虚しさを感じていた。
芸人枠は、月曜日が楽珍、火曜日があやめ、
水曜日がすいっちょん、金曜日がタージンという布陣だった。
ちなみにぼくは木曜日の担当だった。
タージンはすでにメディアで売れていたし、
すいっちょんも『ウィークエンダー』という番組で全国ネット。
あやめや楽珍も、結構注目されていて、
結局、ぼく一人が次のレギュラー番組を得ないまま、
取り残された形になってしまった。
ぼくはチャンスを掴み損ねたのだ。

当時、ぼくは内弟子で師匠の家に住み込みだった。
番組が終わり、師匠宅の二階にある小部屋、
ぼくは自分のあまりの不甲斐なさにひとり悔し泣きしていた。
とその時、
トントントンと階段を駆け上ってくる音が聞こえた。
ぼくは慌てて涙を拭った。
ドアの向こうから師匠の声がした。
「蝶六、あのなあ・・・・・・」
その後に続いたのが、冒頭の一言であった。
師匠はそれだけ言うと、
あとはもう何も言わず、
また階段を降りていかれた。

英雄アキレウスには、
アキレス腱という弱点があり、
武蔵坊弁慶には、
弁慶の泣き所という弱点があった。
勿論、それが致命傷になるということがあるが、
しかし、それが新たな「強さ」の契機になる。
不足はいつまでも弱い不足のままでなく、
いつしか強い満足に反転していく
可能性がある。
松岡正剛 『フラジャイル』より
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去年のことだった。
あやめ姉が「蝶六くん、いっぺん同窓会やれへん?」
と、声を掛けてくれた。
ぼくは、タージンさんや楽珍兄に連絡を取った。
『ヤングラジオ』の仲間であり、共に芸歴30年。
当時、ラジオ大阪の新人アナだった原田年晴さんも
駆けつけてくれ、座談会の司会まで勤めて下さった。
みんなそれぞれにこれからの抱負を語った。
先のチラシ写真がその催し。
あれから30年。
「おい、蝶六、性根入れんかい!!
いつまで挫折しとおんねん!!!」
どこからか、師匠の声が聞こえてくる。
・・・・・・今まだ、ヒーローには程遠く、
ずっと「不足」を感じながら生きている。
「野心」は捨てていない。
この飢えた「不足」が支えになっている。
「飢えを抱ァいて歩こうよ、
涙がこぼれないように♪♪」
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