95.わが町の誇り SARUGAKU祭1
「ぼくもこの委員会に入ってから気がついたんですけど、
これらのサークルって、彼らの受け皿になってるんですよ」
「受け皿?」
「ええ、小学生までは子ども会とか色々あるけど中学生になると
そこを卒業することになる。
クラブ活動や塾とかに忙しい子はまあいいとして、
居場所のない子たちがどれほど多いか。蝶六さん、これ分かります?」
「ええ、ぼくも今まで小学生にばかり目が向いてました」
「ここに彼らの居場所があるんです」
先日、地元城東区の催し『SARUGAKU祭』のゲストで
呼んで頂けることになり、
その打ち合わせで実行委員会のメンバーと会うことになった。
今年で二年目の催し。
去年のパンフレットを見せてもらった。
よさこい、だんじり、和太鼓、コーラス、チアリーディング、
地車、マーチングバンド、民謡・・・・・・ざっと50近い団体。
「中学生の参加者が結構多いみたいですね」。
このぼくの問いかけに応えてくれたのが、
実行委員の上記の会話である。
ところで、かつてぼくがミュージカル劇団『ふるきゃら』に客演していた頃、
幾度となく、こんな言葉を口にしたものだった。
「人が輝けば、町が輝く」
『ふるきゃら』は、
フツ―の人々のフツ―の暮らしに材を取り、
町から町へ全国いたるところへ元気を届けた。
そのひとつが『川と人と橋のミュージカル』という作品。

これは『一日で作る300人ミュージカル』として
当時、メディアでもずいぶん取り上げられた。
市民300人は、朝9時に市民会館の大ホールに集められ、
それぞれの希望を元に、役者や大道具係等に振り分けられた。
「ええと、河童は○○さんで、花の妖精は○○さんに○○さん……
大道具には……」
ぼくには、村人の役が与えられた。
それから、それぞれ各班に分かれて猛特訓や準備に励んだ。
夕方になると、また全員がホールに集合して通し稽古。
ぼくが全体の流れを把握できたのは、この時だった。


・・・・・・この催しをきっかけに繋がった市民らは、今もなお「町おこしの核」となり、
それぞれ「元気な町づくり」の中心で活躍しておられる。
実は、東京の荒川区でもこのミュージカルを開催しようという話が持ち上がったとき、
ぼくは、そのメーキングから間近に見させてもらっている。
今から15年以上も前の話である。
この時のプロデューサーとは同居していたのだ。
他には、その方の部下やデザイナーも一緒だった。
2DKのマンションの一室で夜な夜な開かれた企画会議。
そこになぜか落語家であるぼくも参加していた。
「川をきれいにしよう、というスローガンだけでは、
人は動かへんと思うねん」
「まず、荒川に興味と関心を持ってもらうことと違うかな。
そうすれば自ずと、川を大切にしようと思う」
「荒川の写真集も作ろう。地元の人でも知らん荒川をな、
意外な荒川をな、美しい荒川をな、知って欲しいねん」
「俺んとこの町には、こんな素晴らしいとこがあんねん。
誇りに持つことって大事やな」
「おらが町自慢に繋がればいいよな」
懐かしいあの雑魚寝の日々。
さて、話は戻って『SARUGAKU祭』。
ぼくは実行委員の一人にこんなことを聞いてみた。
「この祭りの目的って、区のアピールですか?」
「アピールねえ、それもあるかも知れないけど、
むしろ誇りかなあ」
「誇り?」
「ええ、自慢というか……
この子らが将来、社会に出ていったときに、
人に語れるような,自慢できるようなものをこの町に残していきたいんですよね」
「まず自分の町に誇りを持つということ」
「荒川」のときと全く同じだ。
「お国自慢ができるような町にしていきたい」
ぼくは、この方々と是非とも
何か一緒に作っていきたいと思った。
彼は、ぼくを「その気にさせる人」だった。
このような人物が、近くにいたこと。
それはぼくにとって大きな喜びである。
では、何故『SARUGAKU』なのか?
これについては、次回。
町のいいとこ、探そ。
ないなら作ろ。
町自慢しよ。
「町がいい!探し」
蝶六のホームページはここをクリック
これらのサークルって、彼らの受け皿になってるんですよ」
「受け皿?」
「ええ、小学生までは子ども会とか色々あるけど中学生になると
そこを卒業することになる。
クラブ活動や塾とかに忙しい子はまあいいとして、
居場所のない子たちがどれほど多いか。蝶六さん、これ分かります?」
「ええ、ぼくも今まで小学生にばかり目が向いてました」
「ここに彼らの居場所があるんです」
先日、地元城東区の催し『SARUGAKU祭』のゲストで
呼んで頂けることになり、
その打ち合わせで実行委員会のメンバーと会うことになった。
今年で二年目の催し。
去年のパンフレットを見せてもらった。
よさこい、だんじり、和太鼓、コーラス、チアリーディング、
地車、マーチングバンド、民謡・・・・・・ざっと50近い団体。
「中学生の参加者が結構多いみたいですね」。
このぼくの問いかけに応えてくれたのが、
実行委員の上記の会話である。
ところで、かつてぼくがミュージカル劇団『ふるきゃら』に客演していた頃、
幾度となく、こんな言葉を口にしたものだった。
「人が輝けば、町が輝く」
『ふるきゃら』は、
フツ―の人々のフツ―の暮らしに材を取り、
町から町へ全国いたるところへ元気を届けた。
そのひとつが『川と人と橋のミュージカル』という作品。

これは『一日で作る300人ミュージカル』として
当時、メディアでもずいぶん取り上げられた。
市民300人は、朝9時に市民会館の大ホールに集められ、
それぞれの希望を元に、役者や大道具係等に振り分けられた。
「ええと、河童は○○さんで、花の妖精は○○さんに○○さん……
大道具には……」
ぼくには、村人の役が与えられた。
それから、それぞれ各班に分かれて猛特訓や準備に励んだ。
夕方になると、また全員がホールに集合して通し稽古。
ぼくが全体の流れを把握できたのは、この時だった。


・・・・・・この催しをきっかけに繋がった市民らは、今もなお「町おこしの核」となり、
それぞれ「元気な町づくり」の中心で活躍しておられる。
実は、東京の荒川区でもこのミュージカルを開催しようという話が持ち上がったとき、
ぼくは、そのメーキングから間近に見させてもらっている。
今から15年以上も前の話である。
この時のプロデューサーとは同居していたのだ。
他には、その方の部下やデザイナーも一緒だった。
2DKのマンションの一室で夜な夜な開かれた企画会議。
そこになぜか落語家であるぼくも参加していた。
「川をきれいにしよう、というスローガンだけでは、
人は動かへんと思うねん」
「まず、荒川に興味と関心を持ってもらうことと違うかな。
そうすれば自ずと、川を大切にしようと思う」
「荒川の写真集も作ろう。地元の人でも知らん荒川をな、
意外な荒川をな、美しい荒川をな、知って欲しいねん」
「俺んとこの町には、こんな素晴らしいとこがあんねん。
誇りに持つことって大事やな」
「おらが町自慢に繋がればいいよな」
懐かしいあの雑魚寝の日々。
さて、話は戻って『SARUGAKU祭』。
ぼくは実行委員の一人にこんなことを聞いてみた。
「この祭りの目的って、区のアピールですか?」
「アピールねえ、それもあるかも知れないけど、
むしろ誇りかなあ」
「誇り?」
「ええ、自慢というか……
この子らが将来、社会に出ていったときに、
人に語れるような,自慢できるようなものをこの町に残していきたいんですよね」
「まず自分の町に誇りを持つということ」
「荒川」のときと全く同じだ。
「お国自慢ができるような町にしていきたい」
ぼくは、この方々と是非とも
何か一緒に作っていきたいと思った。
彼は、ぼくを「その気にさせる人」だった。
このような人物が、近くにいたこと。
それはぼくにとって大きな喜びである。
では、何故『SARUGAKU』なのか?
これについては、次回。
町のいいとこ、探そ。
ないなら作ろ。
町自慢しよ。
「町がいい!探し」
蝶六のホームページはここをクリック
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