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カテゴリ:イズムのエントリー一覧

  • 155.春團治師匠のサプライズ~いたずら小僧の真骨頂~

                                                 桂花團治公式サイトはここをクリック!地下鉄の車内でばったりお会いすることが何度かあった。ぼくが椅子に掛けて、下を向いて本を読んでいると、「あのう……ひょっとして蝶六師匠と違いますか?」お客さんかと思い、ふと顔を上げると、そこには大きなマスク姿の春團治師匠。「あ、どうもおはようございます」と慌てるぼく。そんな時の...

  • 154.正月なので獅子舞について考えてみた~チンドン屋の流儀~

     「ちんどん通信社」は実に居心地がいい。お正月の仕事始めといえば、ここ数年「チンドン通信社」と現場が一緒である。今年もやっぱり現れた。それも「獅子舞」として。ぼくにとって、新春の寿ぎはあの篠笛の音色と共にある。上の一枚目が「ホテルニューオオタニ大阪」、二枚目が尼崎「ショッピングセンターつかしん」にて。元旦は「ホテルニューオータニ大阪」で落語、二日は「つかしん」で狂言でした。三枚目は、二枚目と同じく...

  • 151上方落語の復活~戦後70年~

    初代花團治は、終戦の3年前、二代目花團治は、終戦の年に命を落とした。ゆえに、二人とも「楽語荘」メンバーでありながら、終戦後初・落語会への出演が叶わなかった。このたび、終戦後復活落語70周年の企画が持ち上がった。不肖、この三代目がその記念すべき「11月21日」の前座を務めることになった。戦前の寄席事情から「楽語荘」誕生、終戦後の落語復活までの軌跡をここに記しておこうと思う。まだテレビ・ラジオのなかった時代...

  • 149.弟子の決断・師匠の覚悟(新聞コラム版)

    当時、奥様は35歳。小学1年生の男の子と幼稚園に通い出したばかりの女の子。そんな平穏な家庭にどこの骨とも分からぬ20歳の男がいきなり転がり込み、奇妙な共同生活が始まった。ヘマばかりを繰り返す男。それでも奥様は嫌な顔ひとつ見せず、行儀や礼儀作法の一から教え始めた。この「男」とは、つまりぼくのこと。師匠と一つ屋根の暮らしは緊張の連続だったが、傍にずっといられるという喜びでいっぱいだった。師匠(先代桂春蝶)...

  • 147.大須大道町人祭~投げ銭の嬉しさ~

    街が大道芸の舞台になる。今年で38回目を迎えた「大須大道町人祭」。15か所以上の特設ステージを含む会場では、朝から晩までパフォーマンスが繰り広げられました。林幸治郎率いる「ちんどん通信社」は「大道町人祭」草創期からの参加。この祭りをずっと支えてきました。乙女文楽の吉田光華師匠。たった一人で操る文楽人形ですが、光華師の手にかかると何とも表情豊かです。琵琶の音色と川村旭芳さんの語りに皆がうっとり。何とも不...

  • 144.バッハと落語~関西室内楽教会の皆さんとともに~

    「落語とは業の肯定である」とおっしゃったのは、東京の故・立川談志師匠でした。「人間っていうものは、酒にしろ女にしろダメだって頭で分かっていてもついやっちまうもん。それを描いたものが落語なんだ」という主張です。先日、ぼくはクラシックの演奏会に語り部として参加させて頂きました。関西室内楽協会の皆さんとのコラボ。天満教会にて。さて、所変われば品変わるものです。その昔、トルコから発展したコーヒーは17世紀頃...

  • 123.落語のすすめ~きたまえ亭コラム全12編~

    さて、前項、町おこしとしての芸能からの続きである。この一年間、毎月二十日前後になると、毎週土曜日に開催される福井駅前寄席『きたまえ亭』の番組に加え、そのチラシへのコラム原稿を担当者に送ることになっていた。マニア向けではなく、全く落語に見向きもしなかった方が少しでも落語に興味を持ってくれるようにと心掛けたつもりである。限られた枠のなかで文章を練るという作業は、ぼくにとってとても有意義なものであった。...

  • 116.「ホモと落語」考

    優れた俳優には女性性格が絶対的に必要である。高校生だったぼくは、その頃からすでに生業として芸人を目指していた。「芸」に関するあらゆる本を手当たり次第に乱読した。それでたどり着いたのが『私は河原乞食・考』という一冊だった。以来、小沢先生が紹介した冒頭のこの一言がぼくのなかにずっと居座り続けた。私は河原乞食・考 (岩波現代文庫)(2005/09/16)小沢 昭一商品詳細を見る「女性的精神の可塑性は、他の感情表象に適応...

  • 113.会社に入ったら三年間は「はい」と答えなさい

    「お前、今日からわしの弟子や」「は、はい。ありがとうございます」。入門初日はこんな会話から始まった。Photo by Masaaki Aiharaフォトブログ 写真家 相原正明先生の見た桂蝶六最初の半年間は師匠の家に通いだった。朝9時に師匠宅に伺い、一日師匠の家で過ごして帰るという日々が続いた。炊事、掃除、犬の世話、買い物・・・・・・師匠の側にいるということが何よりの修行だった。破門にされるんじゃないだろうか。ぼくはいつもそ...

  • 106.桂春駒兄貴を偲んで~ツンデレの人~

    ・・・・・・今、上方落語協会情報誌『んなあほな』の原稿に取りかかっている。今回、ぼくの担当記事は『桂春駒追悼特集』である。何とかゴールデンウィークの発行に間に合わせねばならない。本当はここでブログなど書いている場合ではないのだが、ちょっと”ひと休み”しながらこれを書いている。上方落語協会情報誌『んなあほな』へのお問い合わせはこちら桂春駒師・訃報記事はこちらところで、先週の日曜日は久しぶりの『田辺寄席』。開...

  • 102.異国の地に修行する日本人アーティスト

    世界の伝統芸能に魅せられた、日本人アーティストたち。彼らはなぜ海を越え、「この芸能で生きる」ことを決めたのか?踊りや音楽など、芸術・芸能を習得するには大変な努力を必要とする。ましてそれが生まれ育った国以外の由来をもつ伝統芸能であった場合、その地の言語はもちろんのこと、歴史や文化を一から学び・身につける必要があり、多くの苦労を伴う。そのようなハンデを背負いながらも、伝統芸能に魅せられて海を渡り、異国...

  • 101.授業という名の井戸端会議~「教える」から「教わる」へ~

    「たたき売りちゅうのん、見んようになったなあ」「昔な、天王寺公園で蛇使いをよう見たでえ」「覗きからくりなあ、あれ、金を払わんと勝手に覗いたら、 おっちゃんに棒でしばかれるねん」「おばちゃんがなあ、スカートめくって中見せよんねん。 マッチの灯りでなあ、マッチ一本いくらっちゅうやっちゃ」「それ、泣き売(なきばい)、ちいまんのん?・・・・・・うん、路上で万年筆売ってたで」「その催眠商法ちゅうのんなあ、わて中に...

  • 97.わらいばなしに涙する 追悼・桂文春くん

    「何や、それ?」と文珍師匠。繁昌亭がオープンして、この9月15日で丸7周年。いまも大勢のお客様にご来場いただき、ぼくも一落語家として大変嬉しく思っている。でも、この時期になると決まって思い出す顔がある。桂文春くんである。今から7年前、彼もまた『繁昌亭』のオープンを心待ちにしていた。こけら落としでの出演は9月24日と決まっていた。桂 文春本名:時枝 伸幸(1965年7月18日 - 2006年9月21日)は、和歌山県和...

  • 94.ヒーローの条件

    「ええか、ヒーローになるもんはやな、 最初に、挫折っちゅうもんを  必ず味わうもんやねん」今も師匠のこの言葉だけはしっかりと覚えている。当時、ぼくはラジオ大阪の『ヤングラジオ』という番組でパーソナリティーの一人として参加していた。入門してまだ半年の頃だった。野球中継がない半年間という契約だったが、それが終了したとき、ぼくは妙に虚しさを感じていた。芸人枠は、月曜日が楽珍、火曜日があやめ、水曜日がす...

  • 89.弟子の決断・師匠の覚悟

    当時、奥様は35歳。そこへ20歳の素性の分からぬ、得体も知れぬ男がいきなり生活のなかに転がり込んできた。長男は小学1年生、長女は幼稚園に通い出したばかり。それでも、奥様はとても温かく男を迎え入れ、行儀や礼儀作法の一から教え始めた。「この世界はね、晩に会っても、おはようございます」「部屋に入ったら、こっちが上手で、こっちが下手」「カミのものとシモのものを一緒にしたらダメ!」「掃除はちゃんと畳の目に添って...

  • 85.叱られて

    うちの師匠は「叱り方の上手な人」だった。師匠がぼくを叱る時、たいてい二人きりだった。そう言えば、落語のなかでも、旦那が番頭に意見をするシーン。「ああ、番頭どんか、さあさあ、こっちへ入りなはれ。 後、ピシャッと閉めてな、お座布当てなはれ。 いや、おまはんを呼びにやったのは他でもないねやが・・・」 人払いしたうえで、「二人きりで」というのが原則。丁稚や手代の見ている前で番頭を叱るようなことはしない。ぼく...

  • 76.「贈与」で送る落語界

    師弟関係のいいところっていうのは、生徒にとって「この先生の最高の面を知っているのは私だけだ」という幸福な錯覚が敬意を生み出し、学びを起動させるという点にあるんです。「オレはお前のためにこれだけの贈与をしてやる。オレに感謝しろよな」って渡すような贈り物はあんまりうまく回らないような気がする。あっちからパスが来たから、次の人にパスする、そうするとまた次のパスが来る。そういうふうに流れているんですよ。弟...

  • 60.春団治 初代・二代目法要

    ...

  • 56.ふるきゃらと先代春蝶

    山と川と田んぼと海と生きてゆくのさおれたち私たち畑耕すいとしさを作物にそえ とどけたいのさ遠くの町へと人を愛する せつなさを山の彼方に叫びたい山の空気を吸い込むと身体が緑に 染まるのさどうしてこんなに美味いのか梢をすぎゆく風にある筈もない味なのに俺の元気は蘇る日暮山から流れてくる水が甘くてキレイなら浜の昆布も 魚も貝も塩吹浜は大漁さおまえがいて おれがいて遠くの町に友だちがいる生きているのさこの町...

  • 55.破門騒動と桂雀喜くん

    いよいよ上方落語協会誌「んなあほな」27号がゴールデンウィークに合わせて発刊されます。※天満天神繁昌亭の他、大阪・千日前の波屋書房、 なんばパークス5階の&音(あんどん)、 ジュンク堂の千日前店でもお買い求めいただけます。 また、島之内寄席をはじめ、落語会会場でも販売しています。  詳しくは、上方落語協会ホームページまで。先日、安藤忠雄先生設計の協会会館にて最終の編集会議が行われました。同じく編集委員...

  • 54.久留島武彦、それからそれから、稗田阿礼。

    「イザナキ・イザナミに命じる。 この浮遊している国土を固め直して整備をせよ。 ……これは、天の沼矛というものじゃ。これを使うたらええわい」 「へ、へえ、かしこまりました。ほなイザナミはん、 天上の神さんも、あない言うてはるさかい、ぼちぼち始めまひょか」 「ええ、そしたら、この天の浮橋から……」天の浮橋というのは、天と地の間に架かっている橋ですな。ここから、二人は矛を海水に向けてさし下し、かき回しよった...

  • 51.フラジャイル~弱さからの出発~

    ...

  • 50.繁昌亭の楽屋番のこと、師弟のこと

    ...

  • 45.月見座頭

    落語は、喜劇である。喜劇とは、人の愚かさを描いたものである。ただ滑稽なものは喜劇とは言わない。それは、笑劇(ファース)という言葉で区別されている。当事者にとっての悲劇が、第三者からは喜劇と映ることがある。男と女の諍いが当人たちにとって悲劇であったにせよ、周りからは喜劇として捉えられることもある。喜劇か悲劇か、それはその事件に対するそれぞれの立ち位置いかんである。喜劇は滑稽に描かれたもので、悲劇は哀...

  • 44.シンディ・ローパー

    第二次大戦中、食べるものがなく飢えている弟に向かい、姉はこう言った。「ねえ、何が食べたい?いちばん食べたいものは何?」二人は笑いながらおいしいものを次々とあげた。「そんなに食べたら、おなかこわしちゃうわね」弟はおどけて、でんぐり返しをして見せた。おなかがいっぱいで、もう大丈夫だというように。今はもう、勇気づけのために架空のメニューなど作る必要のない時代。では、精神的にはどうでしょう。1993年、オノヨ...

  • 41.風の丘を越えて

    恨(ハン)を積むとは生きること。生きるとは、恨を積むこと。お前は肉親を失ったうえに光まで失った。人一倍、恨が鬱積しているはずだが何故声に出ない。お前の声は美しいだけで、恨がない。父は娘にそう語った。二人は、親子とはいえ娘は養女で二人は血が繋がっているわけではない。孤児だった娘にパンソリを仕込もうと男が引き取った。辛く貧しい放浪の旅である。芸の道は険しい。しかし、芸のために、何も娘の光まで奪うことも...

  • 37.昭和任侠伝

        強かったなあ、あの時の阪神は、十一連勝!  と、喜んでいたら、あと八連敗。  そこが、また阪神らしいところかねえ。  勝つ時はムチャクチャ強いけど、  肝心な時にはよう裏切られるねん。  思たら、昭和四十八年 最終戦、  巨人に勝ったら優勝やいう時に九対〇の完敗。  あの時は三日間寝込んでしもうた。あの悔しさ分かるか。  選手は替っても、ファンは死ぬまで阪神ファンやねん。  そこんとこ分か...

  • 35.カチューシャの歌

    青年貴族士官のネリュードフは、小間使いのカチューシャを可愛がっていたが後になっていじめるようになった。そのためカチューシャは卑しい女となって罪を犯しシベリアに送られた。これを知ったネリュードフはそれまでの地位と富を捨てカチューシャを追って人間性復活の道を歩き始める。美しく哀れなカチューシャが高貴な青年に救われるというこの甘いロマンスが大正時代の人々の心を捉えて離さなかった。「芸術座」が世に送ったロ...

  • 34.師弟の親子

    ぼくの落語家人生は故二代目桂春蝶宅での住み込み生活から始まった。炊事、洗濯、掃除、犬の散歩・・・師匠の身の廻り全てが内弟子の仕事である。家にいる間は奥さんが師匠のようなもので、師匠同様に奥さんにも可愛がってもらえるよう勤めることも大事。それに奥さんをしくじると師匠に余計な気苦労を与えるだけだ。奥さんにはご飯の炊き方から庖丁の使い方、掃除の仕方、着物の畳み方、挨拶の仕方、謝り方、人の話の聴き方・頷き...

  • 31.六代目松鶴師匠

    「六代目松鶴師匠に言われた言葉で、一番印象に残っている言葉ねえ?……己のことしか考えられん奴は落語家になる資格がない、ちゅうことですかな」。生前、師匠(故・二代目桂春蝶)はラジオのインタビューでこう応えていた。先日、故・六代目松鶴師の一門の方とご一緒した時にこの事を話した。すると、その先輩は「そやねん、うちの師匠はな、弟子が集まって飯を食うてるやろ。そしたらその場で一番の若手にずいぶん気を遣いはるね...

プロフィール

蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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